「彼ら」の相手の秘密を聞き出すテクニック

他人は、自分が当たり前に思っていた事の反対の事を言われると、反論する証拠を証明する為、饒舌になる。
それは、相手に相手が知りたがっていた情報を結果的に与えることになる。

普通の人間ではやらない、相手を侮辱しているか否かというほどの高圧的で決めつけた物言いだ。
最初は、ほんの些細なことだ。次に極論だが「彼ら」がそれを悪用する状況を例にした。

<例>
ある日、顔見知り程度でも、特に自分に対して害もなくむしろ好意的に考えていた人間と会ったとする。
しかも、以前一度多少なりとも些細なことで助けてもらったこともある。そのため、不快に思っても反論することに躊躇する。
ここでは、「彼ら」を「S」としよう。

S「最近の景気はどうですか?」

私「いやぁ。なんとかお陰さまでやってますが、青色吐息ですよ~。」

S「そうですか~(ちょっと周囲を見回し)今どのくらいお客さんいらっしゃるんですか?」

私(内心関係ないだろと思いながら)「○○位ですかね。」

S「・・もうこの会社終わりじゃないですか。」

私「は?」

S「もうこの会社終わりだって言ってんですよ。他に売上上げる方法全く無いんでしょ?」

私(なんだ急に?失礼な。うちの売上内容知りもしないで一部の売上の外面聞いただけで何言ってるんだ?)「いえ、それだけで営業してるわけではないので・・」

S「だったら、何ですか?全部言ってくれけりゃわからないじゃないですか。不親切だな。」

私(だから、なんで自社の人間でもない人に詳細言わなけりゃならないんだ?)「他にもこれこれやこれこれをやってますから。」

S「あなたと私の仲じゃないですか。水臭いなぁ。見せてくださいよ。」

私(そんな仲ではないし、いつの間にそんな仲と言われるようになったんだ?)
「いえ、ちょっと・・」(きつく断るわけにいかないし困ったな)

S「なんだ。建前ってやつですか・・やっぱり、この会社は潰れたんだよ。いいわけしたところで、もう潰れたんだよ。」

私「??・・・」突然の豹変と言葉の圧迫を受け驚愕して何も言いえない。

S「認めろよ。この会社は潰れたんだよ!認めろよ。この会社は潰れたんだよ!認めろよ。この会社は潰れたんだよ!だから、何にも見せられないんだよ!」

私「いえ、今は確かに〇〇部門は少ないようにみえますが、これこれやこれこれも(本来部外者に見せない資料や物を見せて)やってますから。」

S「へぇ、じゃ自分買いますよ。協力させて頂きますよ。」

私「いえ、これは会社とは別にやっていることで・・」

S「協力するてって言ってるのに、他人の善意を無視しようっていうんですか?だから潰れるんですよ!」

私「・・わかりました。」(この時点で、それまで紳士的に対応していた相手を怒らせてしまった事に、何故か罪悪感と機嫌を直して頂くために半ば言いなり)

これは、ほぼ実際にあった会話だ。
相手(S)は社会的に責任ある立場の人物だ。
前述した「他人は、自分が当たり前に思っていた事の反対の事を言われると、反論する証拠を証明する為、饒舌になる。
それは、相手に相手が知りたがっていた情報を結果的に与えることになる。
これは、推理小説でも有名なシャーロック=ホームズでも再三出ている「知りたいことを相手にしゃべらせるテクニック」の一つだ。

だから、このテクニックを使うから「彼ら」というわけではない。

ただ、それよりも「この流れ」はDVのそれと似ている。
それまで紳士的?に振舞って板と思われる相手が、何が原因か激高する。
それは、今まで相手が紳士的だったがために、気づかなかった落ち度がこちら側にあったのか不安になる。

そこをこちらの考える隙を与えず、こちらの情報不足の為に(「こっちはわかるわけない。あなたが不親切だ」)不快な思いをしたと畳みかける。
なおかつ、情報を無条件に提供するまで言葉の圧迫をする。
こちらが自失から立ち直ろうと、何とか丸く収めようと譲歩したのを見計らって、「協力させて頂く」等の助けるスタンスで相手の情報を入手しようとする。
それが、第三者にあまり言わないうち明け話であった場合、大変なことになるかもしれない。
「彼ら」の理不尽な言い分に、「譲歩」しようとした時点で、「利用できる奴」と認定されてヒルのように吸い付かれるのだろう。

これが、今後も付き合わなけらばならない相手だった場合、最悪だ。
逃げられる立場なら、即刻逃げた方がいい。

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「彼ら」の防御反応

例えば自分が誰かに嫉妬を感じていると、そう感じた時に、そういう嫉妬を感じている醜い自分というものに耐えられない。
つまり、理想化された自分から、ありのままの自分への移行が出来ない。(以前も書いたかもしれないが)
従って、嫉妬を感じているのは自分ではなく、他の誰かであるという防御反応が表れるのではないか。
それが「彼ら」にとって無意識に行われ、本人は本気でそう信じているというのが、周囲からしたらはなはだ迷惑にしかならない。

なんだか、最近の他国の問題の元になる考え方に、非常に酷似している気がする。
巷で言う最近騒がれている他国の問題の人々の特徴と、「彼ら」の特徴が酷く合致しているのは何故だろう。
私自身は「偏見」や「差別」は嫌いだが、「区別」は必要だと思う。
また、「彼ら」に関わった場合、情に流されずに迅速に撤退するのが上策だ。
だが、個人単位だとそう速やかに判断は難しい。

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ご無沙汰しております。aiです。

こんにちは。

ご無沙汰しております。aiです。
昨年母が入所しましてから、気持ちが落ち着かず、またなかなか厳しい状況が続いていたため、ブログをアップできませんでした。
両親が脳梗塞で倒れたのは十数年前(はっきりいって早すぎ。)ですが、母の介護が始まったのは2009年なので既に9年・・4年前からの本格介護以前は「介護」と思った事はなかったですが、結構な経済力が必須ですね・・こういったことは、やはり綺麗ごとではない。
しかも、腹立ただしいことに老後資金を全て姉夫婦に渡した上に、自分で保険の外交もやっていたくせに医療保険も生命保険も積み立て保険もすべて解約して、姉夫婦に渡し、一文無し状態。
ちなみに母の年金は月7万。とてもとてもとても足りません。
介護中の暴言や妄想や失踪やわがままは、明るい介護で笑い飛ばしてましたが、さすがにここのところ夫と二人で粛々と対処しています。
夫と、「消えてしまった5年」にショックを受けつつ、今目の前にある事に日々対処しています。

そして、一番の問題は、「彼ら」の罠に嵌ってしまった気がしてならないことです。

母は確かに2次的自己愛かもしれません。ですが、その素養がもともとあり、それが父に会った事によりまた姉を生んで父との連携を取られたことにより、「朱に交われば赤くなる」が如く、いえその元々あった芽が芽吹いてしまったとしか思えないのです。

それでも、現実問題として、母を野放しにするわけにはいきませんでした。
例え、私の幼い頃の母への思慕であったとしても、それが「幻想」であったとしても。

このブログの記録をいつまで続けられるかわかりませんが、記録だけは残しておきたいと思います。

皆様へのコメントのお返事をかけずにごめんなさい。
実は今年の春にPCが飛んでしまった事で、書きかけていたお返事も消えてしまいました。
記事を書きながら、少しづつまた書きたいと思いますが、新しいコメントにはすぐにお返事できないかと思います。

「人間が人生の意味は何かと問う前に、人生のほうが人間に対し問いを発してきている。だから人間は、本当は、生きる意味を問い求める必要などないのである。人間は、人生から問われている存在である。人間は、生きる意味を求めて問いを発するのではなく、人生からの問いに答えなくてはならない。そしてその答えは、それぞれの人生からの具体的な問いかけに対する具体的な答えでなくてはならない」ヴィクトール・フランクル 『死と愛』 みすず書房、1961年。(原題『医師による魂の癒し』)

これの答えは、今もわかりません。一時わかったような気がしたのですが。

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