「彼ら」の記憶障害

「彼ら」にかかわっていくと、まず最初に驚くのが「彼ら」と対峙する被害者との記憶の祖語だ。

「彼ら」の言葉を真に受ける、信じて行動する→
そうしてそれがもとで被害を被る。又は嘘だと判明する。→
その事実をもとに「彼ら」に苦情を言うなり修正を求めるなりする。→
「彼ら」はそのような事を言っていない。と言い張り、こちらの記憶違いか思い違いと言われる。→
何度か繰り返され、不審を抱いて第三者を立てて、「彼ら」にその事を追求しても、貴方が悪いと、第三者にもそう思われるように、大げさにため息をつき呆れたように第三者をも自分の共犯者に仕立てようとする。
間に入った第三者も、あまりに自信のありそうな「彼ら」の態度に、どちらに非があるか分からなくなる。
この時、間に入った第三者が、「彼ら」のようなタイプを知らずに、今まで平穏無事に生きてきた人間だと厄介だ。
悪気なく、「思い違いじゃないか、気にしすぎじゃないか、貴方にも悪いところがあったのでは?」との考えに誘導される。
何と言っても、「彼ら」のような「邪悪な人間」の存在を身近に感じた事もなく、感じたくもないのだから。
味方になってくれると信じていた第三者が、「彼ら」に同調して貴方の「敵」になる。
貴方は、信頼していた第三者までも、自分に非があるように言ってきたため、「やはり自分に非があったのだろうか?私は「彼ら」の言うように頭がおかしいのだろうか?」と絶望的になる。
その機を狙って、「彼ら」は貴方が信頼していた第三者の言葉を繰り返し、貴方が自分を守る意思を放棄するまで、追い詰める。
貴方は、自分自身を責め、周囲の人間達が、我慢を重ねて自分と付き合ってくれていたと思い、自分が生きていてはいけないものと思い、「彼ら」の奴隷と化すまで・・

当時の「私」を支えてくれたのは、祖父母との記憶と、可愛がってくれた叔父だった。
学校の道徳教育と、日本国憲法と、書物と絵だった。
長じて知り合った、私を好いてくれた友人達だった。
肉体的な暴力は、痛みを精神から切り離せば、骨折までなら、多少は我慢できた。
問題は、精神の暴力だ。それは、生きていく気力を奪う。
「彼ら」は、それに長けている。

だが、第三者から見て「真実」に思えるほどの「彼ら」の記憶のねつ造は、何故なのだろう。
本人がそう思い込んでいるとしか思えない。
だが、別な部分では、それが違う事を、知っている。
この矛盾した現象は何故なのだろう。
昨年、別な人物で、それを目の当たりにして、その異様な現象に、夫と顔を見合わせた。
最近、そういった人物がニュースにもなって巷を賑わせている。だからか、その答えの一つと思われる記事を見つけた。

1.ストレス記憶障害

加齢や事故ではなく、私たちの身近にあるストレスによっても記憶障害になる場合があるそうだ。
これは、そのまま放っておくと起こりうる危険であり、ストレスを受けるとそうなるということではない。
通常、ストレスを受けると、不眠になったり、円形脱毛症になったり、ついには「鬱病」になったりする。
そのまま放置し、過度なストレスにかかり続けることで、下記のような現象が起きるそうだ。

1.脳が嫌だった記憶を消そうとする。
2.ストレスは、脳内の「海馬」を委縮させてしまう。

メカニズムの1 無意識に脳が記憶を消そうと働く。
あまりにも耐えがたい・受け入れがたい経験は、脳が記憶から切り離そうとしてしまい、結果として記憶障害の症状が出ると考えられているそうだ。

メカニズムの2 ホルモンが、記憶をつかさどる脳の器官を委縮させる。
強いストレスが加わると、「コルチゾール」(別名ストレスホルモン)が分泌される。
これは、本来なら人間にとって必要なものだが、大量に分泌されると「海馬」を委縮させてしまう。
「海馬」は脳内で短期記憶を主に司っている。これが、ストレスホルモンの影響で縮んでしまうと、記憶障害の症状が出ると考えられるそうだ。

これは、「彼ら」のスケープゴードにされた人間が、ついにはなる現象だと思う。

実は、私にも覚えがあるからだ。
私は、自慢じゃないが、周囲から記憶力が良いと(人によっては、それが怖いと)言われる方だ。
だが、このブログを書き始めるきっかけとなった「M」に、「酷い暴言」を吐かれた時、体が痺れて座ったまま立ち上がる事もできない程の衝撃を受けながら、その直後から、その内容を全く覚えていない。
覚えているのは「こんな事あるはずがない。」との思いと、「私の聞き違いじゃないか?」との自己否定になる思いだけだった。
何度も思い出そうとしたが、未だに思い出せない。
逆にそれが、私の恐怖になった。
姉や父や時々の母に言われた事も、ここに書いたように断片的にしか覚えていないが、それでも他人の「M」に言われたショックよりは、日々言われていたせいか免疫があったのか、そこまでの衝撃を受けなかった。
昨年、仕事上で「彼ら」と思われる人間にかかわった。
その際の暴言は、記録できたし、覚えてもいる。
少しは、免疫がついたということか、とも思うが、本来なら知らない方がいいことだ。

「彼ら」も、そもそも私達と同じ「人間」だったはずだ。

私達が自分の精神を守り自分が生きていく為に、「彼ら」の悪行の記憶を消すように、「彼ら」は本来の自分を証明する為の記憶(ストレスにしかならない)を消したのかもしれない。
そうして、私達は消してしまった記憶の替りを作ることなくいるものを、「彼ら」の場合は理想の自分を証明する為の記憶に作り上げてしまったのだと思う。

その繰り返しが、「彼ら」の脳そのものを破壊し続けたのかもしれない。

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盗まれる記憶

彼らは気に入ったシュチエーションや感動的な話、会話をそっくりそのまま覚えていて、さも自分が経験したか考えたか言ったかのように話す。
その場合、こういう考え方の人間は、こういう場合こう答える、という一貫性がある。
それに当てはまるか、確認して欲しい。

彼らには一貫性がない。
また以前こう言ったというと、まず忘れている。
こちらが言った事を、自分の言葉のように話されると、滑稽を通り越して唖然としてしまう。
往々にして「彼ら」はそれをやる。
人間は、必ず同じ行動パターンと言動がある。
一見感動的で神秘的な話や行動は、魅力的に見えるかもしれない。
だが、少し経つとわかるはずだ。そのバラバラの言動に。

だが、関係性が深まって~それらが判明したりするため、被害者は、他ならぬ「彼ら」の為につじつまを合わせ、自分自身も欺く。
それが、「彼ら」を増長させ、全能感を持たせ、貴方は自分自身の人生を売り渡してしまう。

貴方の記憶は、貴方だけのもの。
貴方の記憶は、貴方だけの歴史。
貴方という人間を形作った、貴方と他者を区別することのできる、貴方のアイデンティティ。

「彼ら」に、決して渡してはならない。

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言論統制?

最近「保育園落ちた。日本死ね!」の記事が巷をにぎわせている。国会審議にまで行き、政治的にも利用されデモまでされている。
汚い言葉で書いたブログ主は、確かに残念だったかもしれないが、どうしても、個人的には少し見通しの甘さを感じていた。人それぞれ賛否両論はあるだろうけど。私個人の考えではね。

で、普段は書かない記事にコメント投稿してみた。反論が多かったが、賛同者もいた。
今日は、別な記事に

「保育園落ちた日本死ね」ブログをほめるな 石井孝明
http://agora-web.jp/archives/1671910.html)2016/03/10 

とYahooさんにも紹介されていたので、コメントを投稿。
この記事に賛同したので。よかったら、見て下さい。
「あるアメリカ人の信条・・私が求めるのは保証ではなくチャンスなのだ。
国に扶養され自尊心と活力を失った人間にはなりたくない。・・」とっても良いことが書いてあります。
だが・・4回も投稿したのに反映されない。2回に分けたら、2回目の少ないコメだけ反映。
肝心な事が反映されないので、他の類似の記事にもコメント投稿。反映されない・・
5年前の震災時に、動画サイトのコメントで「メルトダウン」「炉心溶融」とかを必死にいれても反映されなかったことを思い出した。(当時震災直後だったので、発表されていなかった)

なので、とりあえず自分のブログに、自分のコメントを掲載してみる。
(もし、記事を削除してほしいとの要望がありましたら、お話伺います。)

「もともと、保育所は勤務していて子供をみる方がいない、また病気で見ることができない方や、シングルマザーやシングルファザー(一人親が仕事をしなければ生活できない)や低所得者のためのシステムだったはず。このトビ主の取材記事を拝見しました。
次引用**
夫婦共にフルタイムで、上の子はすでに保育園に入っているというトピ主さま。この状態で全ての保育園に落ちたそうです。「私が仕事を辞めても生活はできますが、子供の学費、老後の費用、もろもろ考えると働かざるをえません。そして仕事は私の一部です」(「保育園落ちた日本死ね!!!」ブログはついに国を動かすのか?」から引用 2016/03/10 http://www.yomiuri.co.jp/komachi/plus/spice/20160309-OYT8T50046.html
**
将来の学資や老後の資金を貯蓄したいのはわかりますが、国や自治体や保育園は、優先順位を考えます。」
特段、過激でもない、他の現在掲載されているサイトの記事を、引用して、しかも自分のコメント。何故??
ちなみに、次に「追伸です。子供を産みたくても退職せざる終えなかった世代もあります。また、そうならないように、周囲の環境を変え、工夫して頑張ってきた人もいます。でも、今回のようなブログで国会にまで審議がいったり、デモをしたり署名活動して政府だけを批判するのはいかがかと思いますね。自助努力や、計画性をないがしろにして、依存し、声高に政府や周囲のせいにする人が増えてきて、怖いですね。 」(2016/03/10 18:06 )

は無事投稿できました。そのあと、投稿しようとすると「1回しかできません・・」の注意書き。この間、私3回連投したけど・・しかも、今回その自分のコメントに「返信」という形で投稿してみたら、一度は反映されるのに、また反映されずに消えてしまう・・

なので、自分のブログに掲載してみました。
法に触れない限り、言論の自由は保障されていますので。

「保育園落ちた日本死ね」ブログをほめるな 石井孝明
http://agora-web.jp/archives/1671910.html)2016/03/10 から引用です。
「あるアメリカ人の信条」

私は平凡な人間にはなりたくない。
自らの権利として限りなく非凡でありたい。
私が求めるのは保証ではなくチャンスなのだ。
国に扶養され自尊心と活力を失った人間にはなりたくない。
私はギリギリまで計算しつくしたリスクに挑戦したい。
つねにロマンを追いかけ、この手で実現したい。
失敗し、成功し…七転八起こそ、私の望むところだ。
意味のない仕事から暮らしの糧を得るのはお断りだ。
ぬくぬくと保証された生活よりも、
チャレンジに富むいきいきとした人生を選びたい。
ユートピアの静寂よりも、スリルに満ちた行動のほうがいい。
私は自由と引き換えに恩恵を手に入れたいとは思わない。
人間の尊厳を失ってまでも施しを受けようとは思わない。
どんな権力者が現れようとも、決して委縮せず、
どんな脅威に対しても決して屈服しない。
まっすぐ前を向き、背筋を伸ばし、誇りを持ち、
恐れず、自ら考え、創造し、その利益を享受しよう。
勇気を持ってビジネスの世界に敢然と立ち向かおう。

ディーン・アルファンジュ(米政治家)

(http://www.freerepublic.com/focus/f-chat/1483975/posts)
An American's Creed
Dean Alfange
I do not choose to be a common man
It is my right to be uncommon...
If I can. I seek opportunity... Not security.
I do not wish to be a kept citizen,
Humbled and dulled by having the state to dream and build, to
Fail and succeed.
I refuse to barter incentive for a dole.
I prefer the challenges of life to the
Guaranteed existence; the thrill of
Fulfillment to the stale calm of utopia.
I will not trade freedom for beneficence
Nor my dignity for a hand out. I will
Never cower before any master nor bend
to any threat.
It is my heritage to stand erect,
proud, and unafraid; to think and act for
myself; enjoy the benefits of my
creations; and to face the world boldly
and say, "This I have done with my own hand,
I am a man. I am an American.

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