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「彼ら」の会話-自己愛性人格障害一考察

例:姉が子供の頃、眠っている私を起す名目で、濡れたタオルを私の顔にかぶせ、苦しくて目を覚ました私に言った言葉。

姉「テレビでやってた。でもお前は死んでないだろう。」に
私「テレビは普通より大げさにやっているんだよ。役者は演技でやっているだけで確かに死なないけど、実際は死んでしまうんだよ。」と言っても、
姉「テレビでやっているのは嘘なのか。それなら実際死ぬかどうかわからない。」と次々論点がずれてくる。
結果「お前が悪い。私は悪くない。」「嘘を公共の電波に流すテレビが悪い。」
私「だから実際の人物団体とは関係ありませんって・・」
姉「だからそれが事実か嘘かお前はわかるほど偉いのか。」
私「偉いとかじゃなくて・・」
姉「ほぉーら言えないだろう。大体おねえちゃんが死ぬと分かっていてそうするわけないだろう。妹なんだから。それともお前は私を殺す気か。冷たい奴だな~」
私「誰もそんなこと言ってない。そうじゃなくてこういうことすると下手をしたら死んじゃうでしょ。」
姉「お前死んでないだろ。嘘つき。」という具合にエンドレス・・騒ぎを聞きつけて母から怒鳴られ終了・・「もうやらない」と約束してもらったら、次は「枕」だった・・母が心配して私を幼稚園に、姉を保育園に行かせた訳だ。

口が達者というのではない。「自分は正しい」を中心にすえるから論点がずれる。「彼ら」は会話の中で「主格」「目的格」をずらす。会話の主旨を理解できていない。故意にしろ無意識にしろ国語力がない。矛盾を指摘すると「そんな事言ってない」か「そんな意味じゃない」で「どんな意味か」を聞くと 言わずに「お前に何故わざわざ説明しなくちゃいけない。言わなくても「普通の人間」はわかるはずだ。だからお前は「普通じゃない」。」(ここで同じ土俵で戦おうと、「言わないと普通の人間でもわからないよ。」とでも言いようものなら、そこからまた話はずれまくる。少なくとも、「彼ら」の目的は達せられるわけだ。)
あげくに「何を言っているのかわからない。」(これは皆共通している。問い詰めるとそう答えるのは「彼ら」だと思って間違いないのではないか。)

1対1では対抗できない。
こちらが冷静なら、あきれて話を終了(納得させられた形)するか、個人的な付き合いでは感情的になる。
また「彼ら」のように極端に酷い事も言えない。なので、幼い時から証人をつける癖がついた。(例え用意した証人がその実聞いていなくても、その場にいた事をまたいたらしい事を認知させれば、少なくともその場は黙る。または証人が私に同調するので、「彼ら」の逃げ道はふさがれる。)

そうしなければ、私自身の五感を疑うようになってくる。

姉の言う「言った筈だ。お前はもう忘れたのか。馬鹿じゃないのか。」も、ごく幼い時、近所のお爺さんに半泣きになりながら相談した。
「aiはよく忘れるから、馬鹿だと言われた。aiは馬鹿なのかな?(泣)お爺ちゃんはどうしてたくさん覚えてるの?」
「aiちゃんは馬鹿じゃないよ。まだ小さいから仕方ない。大事な事は何度も思い出せば忘れないよ。」
なので、今でも繰り返し、記憶の再生を続けている。

「彼ら」が論点をずらし始まったら・・
追求しつづけ最後に「何を言っているかわからない」と「彼ら」は言ってくる筈だ。
その時には、「こんな些細な事で論点がずれるのでは、貴方とは人間の会話が成り立たない。だから、仕事上もフレーズしか言えないんだね。これでは仕事も難しいでしょう。」と言い切る。
その時点で、どんなに「彼ら」の同情していても、どんな関係でも切るつもりではっきり言った方がいい。
(仕事上は利害関係が解消されたらか解消するつもりで。個人的付き合いの場合は、これで最後にするつもりで。)
最も、「彼ら」は貴方が論旨をずらしていると言ってくるかもしれない。
その場合、「私がこうきいたら、こう言ったでしょ。私のそれは「普通の人なら」こういう意味にとって、こう答えるのに、貴方は「こう」答えたでしょう。全部そうだよね。」
この時点で「彼ら」は一方的に大きな声を上げて貴方の邪魔をするか、小ばかにして貴方の怒りを煽るかもしれない。「彼ら」の策略にのらずに、冷静さを保って欲しい。
「貴方とは「人間の会話」ができない。」と言うしかない。
今度は、貴方だけの「取り方」が違うと言ってくる。「そうなの?でも、この間あの人も・・」(誰と言わずに他の人間もそういっていたとにおわせる。「彼ら」と同じ手法。使いたくないが。)と言って、「言いかけて止める」その後、聞かれても答えず「彼ら」との会話は断って、関係も断って相手にしない。
他の通常の場合もそうだが、口で言って分からない奴は、もうわからない。さりげなく言っても、想像力がないので理解しない。
(ちなみに、Mには最後には「会話のキャッチボールができないのね」と言ったら、「俺は話面白くないって言ったでしょ。」と言われた。誰も漫才やれとは言ってないって。言外の言葉を汲み取れない・・)
ちなみに、「彼ら」が切れてまた憤怒を起した際は、何を言われても周囲に当たっても馬耳東風。(婚姻関係以外の家族でも知人でも)完全無視してその場に「彼ら」が存在しないよう振舞ってください。耳元で怒鳴られても無視してください。(「彼ら」が時々意味もなくやる動作だが、この場合、やむおえない。)

(書いていて気付いたが、多分「彼ら」の人生の中で「このような対応」を他からされたから、同じ事を「彼ら」もしているのかもしれない。「対応する場面」は相変わらず「ずれて」いるが。何故、他からそのような対応をされたのか、考えないから、幾つになっても同じ事を繰り返すわけだ・・
(追記・・「このような対応」は「彼ら」のやる 脈絡ない不機嫌そうな態度、別な部屋で聞こえるように不満を言う、心配かけるように目の前で具合の悪そうにしたり、無視する、といった不愉快な態度のこと。
これらは、例えば親にされたから(被害者だから)ではなく、相手を傷つけるため。または貴方をコントロールするため。少なくとも姉は両親にはそうされたことは一度も無い。でも、私にはやったので、「彼ら」の態度に周囲がやむなくしたのを、貴方に返しているだけだと思う。)
「彼ら」の「何を言っているかわからない。」の言葉も、かつて一貫性のない思わせぶりの矛盾のある会話をした「彼ら」にさんざん向けられた言葉だと思う。
それを「その場面」でもないのに、そういえばかつて自分が答えに窮したように、相手も黙るかと思い使っているだけだ。
「彼ら」に言われた場合、「私が言った事は「こうこう」貴方は「こう」と言うか「こう」と言うか、どちら?」「普通「こう」と言うべきでしょう。」と追い詰めて欲しい。
もっとも、お陰で一時期、上司に向かっても発言指導するような癖がついたことがあり、困った事もあった。


手を挙げられたら、「被害者」になって、警察に速攻で電話してください。その間電話は通話のまま切らずに警察に聞かせてください。(ちなみに私の以前住んでいたk市は、「彼ら」のような人間が比較的多かった。ある日男に絡まれ暴力を振るわれそうになり、携帯から警察に電話。中継で状況を聞いてパトカーとバイクの3人の警官が20分経ってからやっときた。勿論逃げられた。)
そして「狂言自殺の加害者」にされないうちに、その場を離れてください。
その事を記録に残すか、信用のおける第三者に事の起こりから終わりまで話して、アリバイをつくっておいてください。
メールの場合は、その場でメールアドレスを変えて受信できないようにしてください。
正常な人間は、相手を対等とみなし尊重していれば、言いたくない事であれば「悪いけど言えない」というか、思いやりでもって「○○の都合で」とかすぐ納得がいき相手を傷つけない「嘘」をつく。(決して「彼ら」のように、すぐばれる馬鹿馬鹿しい嘘は言わない。要は「馬鹿にしている」のだ。この程度の「嘘」に貴方は騙される、と。)
「彼ら」の場合、自分が悪いのを隠す を中心に据えるため、追求から逃れるために相手の揚げ足をとったり気付かないふりをして論点をずらし続ける。
それよりも、先に言ったようにすれば済む話なのに、おかしなずらし方をして「実は本当は違うけど相手が馬鹿だからこの程度のずれ方でごまかしてるんだよ。」または恋人であれば嫉妬心を煽るためにと「みえみえ」のやり方をするため、こちらの怒りは溜まっていく。
「そんな子供でも騙されない「嘘」を言うなんて、貴方って、あまり頭がよくないのね。」と言うしかない。
(こうまで言うようになれるためには、「彼ら」に対して既に同情心・愛情・仕事上利害関係が全く無い状態にならなければならないので、その「しがらみ」があるうちは難しい。)
もっとも、「彼ら」でなくともこのような会話をする連中もいる。ヤクザだ。
(「彼ら」といると同じような会話の癖がつくことがある。
私自身も影響を受けた時期があり、当時の恋人や夫に「人の言葉尻をつかんで話をずらす、ヤクザと一緒だ。直したほうがいい。」と注意された。
今は出ないが、たま~にはっとすることがある。)
または、「彼ら」が身近にいて、それを真似する人間(その方が得だと勘違いして)だ。
ストレートに「それって、ヤクザの話し方と同じだね。」と言ったほうがよいかも。
「彼ら」の反応は様々だと思うが・・
そのほうが、権威に弱く、上質の人間と勘違いしている「彼ら」には 効き目 があるかもしれない。(「ヤクザを知っているのか」 との「彼ら」の問いには 「親戚が、知り合いが、刑事で・・」とでも言っておけばいい。)
(私の以前の恋人も、夫も固い職業だが、職務で関わる事があった。)
いずれにせよ、味方を減らし敵をつくるやり方だ。(もっとも「彼ら」は周囲が敵ばかりが正常な世界と思い込んでいるから、本望だろう。)

正常な人間の「会話が広がっていく」ずれ方と明らかに違う。会話のキャッチボールをしながら、ふっと言った一言で次の会話が展開して、最初はこんな話だったのに、ずいぶん大きな話になったね。というケースと全く違う。

もっとも、能力のある「彼ら」(幸い会った事は無いと思うが)なら、専門用語で煙に巻き、自分の都合の良いように話をもっていくだけだろうし、矛盾があってそれを追求しようとしても、追求した場合のデメリットを暗に提示して逃れる事位はしそうだ。

つくづく、「彼ら」との会話は疲れる・・正常な楽しいお互い実りのある会話をしたいものだ。と思う。

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コメント

以前、高校で講師をしていたとき、クラスに特徴のある男子生徒がいました。

平気で嘘をつく(みえみえの)、周りを煽って対立させる。責任を追及すると周りが自分のことを陥れようとして、嘘を言っていると言う。たとえ複数の生徒が同じことを証言していても。未提出課題(母親に捨てられた、友達に盗まれた、が常套句)については、こちらの指示していることを聞いていない(個人的に確認しようとすると「あーはいはい。わかった」と去ろうとする)、やっと提出すると大部分が指示通りでない、それを追求すると自分はきちんと聞いていた、そっちがちゃんと指示しなかった、と責める。ただ単に自分の指導の仕方が不十分なだけだったのかわかりませんが、話が通じないことへの困惑、もどかしさ、こちらの情を逆手に取った尊大な態度への嫌悪感、など、「普通の人間を相手にしているのだろうか」と不思議に思いました。

クラスでも孤立しており、一人か二人気のいい生徒にアプローチし、一緒に留年しよう、あのクラスはあきらめよう、おまえなんか頭悪いからどうせだめだ、あきらめろ、と吹き込んでいたようです。結局彼だけ留年し、私立の定時制に転校していきました。
彼の母親もよく人のせいにする、責任転嫁するらしく、担任が対処に困っていることをこぼしていました。

この子が成人して家庭をもったらどんなことを自分の子供に伝えていくんだろう、とかつては悩みました。私もまだナイーブで経験も浅かったので、ベテランの先生方はもっと別の対処の仕方をしっていらっしゃるのかもしれません。

時々、彼のことを思い出し、彼の目を通してみる世界はどんなものなんだろうと思います。もしかしたら、全然 自己愛とは違うかもしれませんね。ただ、Aiさんの考察を読んでいて、つい思い出しました。すみません。長々と失礼しました。

投稿: こんぺいとう | 2009年11月11日 (水) 04時45分

こんぺいとうさんへ
コメント有難うございます。
お話を拝見すると「自己愛気味」のように思えてしまいました。
専門家ではないので、私には言えませんが。
親が罹患者である場合、それに対抗するうちお子さんもそのコピーになるか、そのように親に育てられるか、損をするのを承知で「被害者」となるか、どれかを本人が選ばなくてはならないと思うので・・
あの手この手で「いやらしい稚拙な嘘」をつく。
人間は罪悪感というものが必ずあるので、何かあると自分にも非があるのでは?と考えます。
それを「彼ら」のようなタイプに悪用されるのでしょう。

先日、大学教授と話をした際、最近の学生は口ばかり達者になって、正しい道徳観念が欠如しているので、社会に出る前に大学で道徳教育をとの話になり、今そういったカリキュラムを組んでいるところだ、と伺いました。その先生は、自分の大学の学生だけかもと思い、確認したところ、今日本ではそのようなケースが増えているそうです。
勿論、幼い子供のように道徳観念をきちんと教えれば社会に出て行ける子供が大多数だと思いますが、その中に「彼ら」もいるとは思います。
本来なら、家庭で、今までの学校教育で教えるべきことを、大学を水際にされて困ったものだとおしゃっていました。
「彼ら」のようなタイプは昔もいたのでしょうが、最近とみに増えてきているように感じます。
世代間連鎖でしょうか。あまりにも精神が脆弱で主体性が無いから2次的罹患者が増えたということでしょうか・・
ある意味 哀れな人間 だと思います。
「生きる」ということを、永遠に楽しめないわけですから。

お互い、「彼ら」のようなタイプには遭いたくないものですね。

投稿: ai | 2009年11月11日 (水) 12時32分

「いやらしい稚拙な嘘をつく」まさにその通りだと思います。
自分に誇りはないのか、そんなことして(言って)
恥ずかしくないのか、と普通なら思うところのその「普通」が
ないのが「彼ら」なんですね。

その男子生徒が本当に自己愛性なのかどうかは定かではありません。私は今国外にいるため、もう高校生たちとは関わりのない生活をしていますが、ときどき思い出します。生い立ちや家族構成が複雑化している今は、ただでさえ「こんなの普通」と思うことも通じないことが多いです。「人間性」「思いやり」を基本に据えた教育をしていかないと、彼らのような生徒にルール(形)だけを守られて出し抜かれます。本当なら家庭の中で思いやりを学んでいくことなのに。

今はただ、自分に関わりのある人たち、自分の家族の範囲の中で気を配っていくしかないですね。

投稿: こんぺいとう | 2009年11月14日 (土) 17時32分

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