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父が私と母を殴らなくなったわけ

私が10歳になったばかりの時、あることで左腕関節複雑骨折をした。
学校内だったため、学校担当医へ連れて行かれたが、その医者がお年を召した方(ヤブ)だったため、関節が文字通りバラバラになっているのに、「ひびが入っているだけ」と言われて麻酔なしで治療され、2日入院し、帰された。
当時の私は「金をかけて学んだ医者が言うことだから間違いはないのだろう」と思っていた。
が、1週間分の痛み止めは4日でなくなるほど痛いし、眠れないしパンパンに腕全体が腫れだしで、子供心ながらこれはおかしいと感じ始めた。
だがしかし、母に言えば、母は心配して別な病院へ連れて行こうとするだろう。(ただでさえ、毎日おろおろしながら痛みが無いか聞いているのに。)
その場合、父にまた母を殴る理由を与えてしまう。
それだけは避けなければならない。
母から毎日聞かれても「痛くない」と言い張り、いよいよ薬が切れたて我慢できなくなった時、このままではカタワになると、朝6時にこっそり寝床を抜け出し玄関へ向かった。(ここは別居場所の市営アパート)
近くの交番へ行き、事情を話して病院へ連れて行ってもらおう。
その場合、家へは帰れずに施設収容になるかも・・しかし、腕が使い物にならなければ、今後生きていくのに不便だろうと。
治療費は事情を話して、時間をかけて返していこう。

そう決心して靴を履いて、ドアを開けようとしたその時、外から大好きな叔父の声がした。
遠方にいる叔父が、突然一人で遊びに来たのだ。
いつも娘2人と奥さんを連れて、(家庭はうまくいっているから心配いらないよ)という姿勢を皆に見せるほど、気を使う頭の良いハンサムで親族の中では人気者の叔父だった。

朝早く、何故連絡もなしに来たのか、私も母もとても心配したが、叔父が来たことで私はあっさり予定を変更して叔父と皆でその日を過ごした。
勿論、私のけがのことを叔父は言及したが、私の性格を知っている叔父は、最初の私の答え「なんでもない。痛くない。」で引き下がった。
その日の晩、叔父に呼ばれて「俺が責任をとるから本当のことを言いなさい。本当は痛いんだろう?」
その一言で、やっと白状することができた。その時の安堵感。

翌朝、朝食後、母を正座させ私が痛みを我慢していたこと。大きな病院へすぐに連れていくように話してくれた。
泣き出した母に、「○○(父)が何か言ったら、俺が責任をとると言え。文句があったら俺に言えと言うんだ。」と約束をし、母は早速父へ電話を入れ、いつものようにどなり散らす父に、叔父の名前を告げた。
その時の母の誇らしげな顔。

あいにく地元の総合病院は、その日(土曜日)は診療をやっていず、翌週月曜の朝一に行った。
実に、骨折をしてから10日後のことだった。
当時の整形外科のO医師は、地元でも評判の名医で、私の怪我をみて即日手術に入った。
その際、私に「何故早く言わなかったのか?痛みはどうだったのか?」と聞き、母の責任にされると困るので、「痛くなかった」とまたも言い張り、痛覚の確認をし神経は正常なことまで確認した。
O先生はひどく奇妙な顔をして、私を黙って見ていた。

その日の手術は5時間あまり。夜中に目を覚ました時、気丈な母が泣きながら話した。
私が看護婦に連れて行かれた後、O先生は、泣き続ける母と特に父に、何故もっと早く連れてこなかったかと詰問。
父がいつものようにaiが痛くないと言ったからと私のせい、子供のことは○○(母)に任せているからとグダグダ言い訳をしだしたそうだ。
普段温厚で知られるO先生が、外来が大勢いる皆の前で大声をあげた。
「大人でもあの痛みは我慢できない。あと半日遅れてたらカタワになっていた!あんたは自分の子供をカタワにする気か!この後に及んで10歳の子供のせいにするとは、カタワになったらあんたの責任だぞ!」
整形外科の外来は静まり返り、父は真っ赤になって立ちん棒のまま、何も言えなかったそうだ。
私に泣きながら謝る母は、その時だけ少し嬉しそうだった。
その晩から、母を守るため、完全看護の病院で付き添いは認められないところだったが、O先生に頼んで母を付き添いとして私が退院するまで、母にいてもらった。
(O先生に恥をかかされた父は、母に仕返しをするに違いない。私(ai)が子供なので、1人ではいられない、と言い張った。付添が泊るところはなく、病室の畳敷きに寝起きでOKをもらえた。)
2人で避難したようなものだ。
入院生活は、本当に天国のようだった。片腕1本なら安いものだ。
神様って本当にいるんだ。そう思えた。
後に手術をあと2回こなし、2年ほどリハビリに通い、今のほぼ正常な腕がある。
O先生には感謝しても感謝しきれない。

後から知ったが、あの日ふいにきた叔父は、母の電話の後、父に電話をかけていた。
「もし、今後、aiと○○(母)の身に何かあったら、ただではおかない。」と。叔父は剣道4段だ。
そうして私の治療費の手配を母とやってくれた。

叔父があの日ふいにきたのは、叔父自身が胃癌に侵されていたからだった。
最後に挨拶に来たのだと思う。
私が3ケ月にも及ぶ入院生活の間、叔父は1週間で身の回りの整理をし、たった一人で病院へいき、退院した私がリハビリ通院をしていた間に亡くなった。
あの日、腕の怪我の痛みさえなければ、叔父に「何かあったのか?」聞いていた。
いや、子供の私に心配させるなんて、叔父のプライドを傷つける、と躊躇してしまった。
それを、今でも後悔している。

今では、総合病院の名誉院長になっているO先生(額の傷でもお世話になって、その時も覚えていてくれた。)
自分の死期が迫っているのに、最後に私の腕を救ってくれた叔父。
2人とも、何故何も言わないのに、私と母がもう限界だと、分かったんだろう。

2人のおかげで、私も母もその後殴られることが無くなり、無事こうして生きている。
(もっとも、叔父の死後、もう一度ひどい暴力を母は受けた。その時、母は決心したのだと思う。またそれは別な話となる。)

例え一日でも、諦めずに自力で生き延びる事ができれば、助け手は必ず現れる。
明けぬ夜は無いし、終わらぬ痛みは無い。

だから、どうか、貴方を信じて。
どうか、自分が幸せになる事を諦めないで。

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コメント

父姉が人格障害なのはウチと一緒です
父も母も亡くなりましたが、今は姉と絶縁するか考えています
aiさんのお母様はきっと共依存だったのですね
ただただ、aiさんだけが周りに翻弄された被害者と言えるでしょう

投稿: | 2013年9月 6日 (金) 09時52分

コメントありがとうございます。

>父姉が人格障害なのはウチと一緒です

お母様は味方でいてくれましたか?
私の母は、ある時から一切私をかばわなくなり、時々姉に迎合し始めました。
そうして、私に対して否定的な言葉が増えました。
確かに、人間は自分の命と身体を守る権利があります。
たとえ、人道的に許されなくても、自分の娘をスケープゴードにしても。
それでも、それまで私を守ろうとしていた母を覚えている以上、それ以降も時々守ろうと努力していた母を覚えているので、父や姉のようには思えませんでしたが。
それでも、友人達や周囲の他人の支えが無かったら、家族4人の中で、私は私を信じられなかったかもしれません。
貴方の場合は、大丈夫でしたか?

>父も母も亡くなりましたが、今は姉と絶縁するか考えています

そうですね。もし、お姉さまがそのような方であれば、悲しいかな、そうせざるおえないかもしれません。

それでも、お互い生き延びて良かったですね!
また、遊びに来てくださいdelicious

ai

投稿: ai | 2013年9月 6日 (金) 22時32分

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