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因果応報ー自己愛性人格障害(父の場合)

「天網恢恢疎にして漏らさず」
天が悪人を捕えるために張りめぐらせた網の目は粗いが、悪いことを犯した人は一人も漏らさず取り逃さない。天道は厳正であり、悪いことをすれば必ず報いがある。(「故事ことわざ辞典」 より引用)

「因果応報」
人はよい行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあるということ。▽もと仏教語。行為の善悪に応じて、その報いがあること。現在では悪いほうに用いられることが多い。「因」は因縁の意で、原因のこと。「果」は果報の意で、原因によって生じた結果や報いのこと。(「goo辞書」 より引用)

「彼ら」に関わった場合、たとえ短期間でもその精神的苦痛と現実の被害の大きさに、「彼らの不幸を望んでしまう」
私自身がそうだった。今までの人生の中で、赤の他人からMに関わったような扱いを受けた事がなく、また平常通り相手に対して堂々と非難することも封じられ、ことごとくこちらに理不尽に責任転嫁された。
「死んで欲しい」と積極的に思う事はなく、また思ってはいけない事と思っていた。
(父や姉の場合を除く。血縁である以上、思おうとしてもそう思えなかった。)
中学生の時、いじめにあっていた。
相手は鑑別所送りになった生徒の舎弟を名乗る男の子3人だ。
その時ですら「彼らは大人の本当の怖さを分かっていない。大ごとにしてはいけない。私自身にも原因もあり(いじめられやすいという。それが何なのか当時は分からなかったが。今なら分かる。家でその役割に慣れていたからだ。)、勿論彼らがやっている事は理不尽だが、結果的に損をしているのは「彼ら」なのだから」と思って耐えた。

もし、相手がそうするからといって、自分も「恨み」を持ってそれに囚われ相手の不幸を望んだら、「相手と同じレベルに落ちてしまう。
自分を相手と同じレベルまで付き合ってやるほど親切ではない。」相手は、私達と人種が違うのだ。へたをしたら「生き物の種類が違う」のかもしれない。
夫が今回調べた内容と写真を見て、「親父さんの人生は嘘で塗り固めた人生だ。同じ人間とは思えない。生まれてきてはいけない人間だったのかもしれない。」と言った。

不幸を望むわけではないが、持たなくても、「彼ら」の最後は既に決まっている。
もし、万が一「彼ら」が自分達のしたことを酷い事だと認識したら、既に起こってしまった事は取り返しがつかない。その事実に苦しんで、それでも今後同じ過ちは犯すまいとなおそうと努力するのなら、まだ救われる。因果応報は少ないだろう。
だが、気付かなければ、まっとうな倫理観ももたず、思いやりもなく同じ事を繰り返す。結果周囲に誰もいなくなる。誰も「彼ら」と心を通わせようとは思わないだろう。
今更認めるだけの強さもなく、今までやってきた行いも「償いきれない」だろう。年を経るごとにやり直すことはできない。その事実に、「彼ら」の「精神」は耐えられないだろう。

もっとも、だからこそ「自己愛性人格障害」なのだ。自分の行いが世間的にみても悪行であるとの認識をしたくないからこそ、責任転嫁し、それができないシュチエーションの場合、「忘れる」か「新しい記憶をねつ造し思い込む」。
昔から最悪の拷問の方法は「誰とも会わず、誰とも話さず、声もかけられず、誰にも笑いかけも信頼もなく愛されない。」だそうだ。
「彼ら」は結果的にそれを自分で演出してしまっている。
人間として、そんな「生」を生きていく意味が、果たしてあるのだろうか?

無理に意識して「憐れもう」としなくても、「彼ら」の最期は決まっている。
もし、それでも「彼ら」に対して消化しきれない思いがあるのなら、思い煩うだけ、貴方の人生の時間の無駄にしかならない。
「彼らのようになるまい。」と、相手の痛みを知って思いやれる強い人間になると思って、早く自分の人生を取り戻して欲しい。

赤の他人なら逃げる事もできるが、家族にいた場合、その損害の大きさに愕然とするだろう。
また、潰えてしまった可能性に取り返しのつかない痛みに苦しむだろう。

だが、「彼ら」がいなければ、果たしてここまで私自身強くなれただろうか?
ここまで、「人生の意味」や「人は何のために生まれて生きるか」「自分の存在価値」「命」を考え続けただろうか?
「人の宿命」「切り開ける運命」「無名の人々が紡ぎだす歴史」に気付いただろうか?
「幸・不幸は自分で決めるもの」「はたからどう見えようが、自分は自分」そう思えた事で、別な意味の可能性は広がったと思う。

全てが「彼ら」に起因していたわけではないが、きっかけになった事もある。
別な視点から見れば、父の被害者の方(例えば結婚する際に3回も手紙で、いかに父が非道で金銭的損害も多大だったかを知らせてきた女性がいた。
裕福な議員の父親という信頼のおける方からの紹介だった為、祖父や母はその手紙を無視した。)や恨みを持っている人間はこれでは多くいただろう。
その方たちから見れば、父はうまく莫大な借金を肩代わりさせその後の生活も面倒をみてもらい、好き勝手に生きる事のできる結婚相手を幸運にも見つけた。
どこが「因果応報」と思ったかと思う。
ただ、80にもなって身体を既に壊しているのに、なおかつ最愛の娘に騙され、同情でもって周囲を騙す事ができずに母にとうとう離婚され、寝たきりになって施設に入り、身体は動けるように回復したが、2歳児のような知能低下をし、同じ施設の他の高齢者に家族が訪ねてきて施設の仲間同士友人になっているのに、父だけは誰も来ず施設に話す相手もいない。

認知症の年間発症率は65歳以上で1~2%。年間発症率は75歳を超えると急に高まり、65~69歳では1%以下だが、80~84歳では8%にも上るそうだ。(Wikipediaより)
その8%に父は含まれた。(あの知能低下の原因が認知症であればだが)
例え人生の大半を好き勝手生きてきて、周囲に迷惑をかけてどこ吹く風でいたとしても、その最期におおよそ全てが明るみに出て、最後の頼みの綱であるだろうお人よしの私の母や私から見限られたら、後は無い。
60代後半になり脳梗塞となって、当時は姉に金を騙されていたのを気付かず、施設の方に必要以上に親切にされ、同情されるため不自由さを強調し本当に動けなくなり、かえって身体を駄目にし、養護施設に入るには医療保険も何も入っていない父に、こちらも資金が無く土地家屋まで手放せないので、離婚した。
幸い市が引き取ったから良いようなものの、父が自身の身の安全の為にした事は全て思惑から外れて自分を追い詰める結果となった。
それでも、少なくともやはり父は幸運だったのだ。
今までの父の行状の証人も物的証拠もいくらでもあるのだから、不自由な体のまま身一つで法的に追い出す事も可能だったのだから。
勿論、支払い能力はなくとも慰謝料を課し、わずかな年金も充当する事もできたのだから。
普通の人間なら、今までの母実家が立て替えた(返してもらってないけど)莫大な金額と、十数年毎日殴られ続けた事だけでもそうしたかもしれない。
お人よしの母が保証人になったからこそ、施設で安穏としていられる。(費用の差額分は今も母が支払っている。)
60代後半からこの十数年で父の人生は、ゆっくり下降し続けたのだ。
昔読んだ「モンテクリスト伯」の復讐を受けた人間たちを思い出した。不当な方法で地位が安泰になってから、全てを失って、発狂するか、自殺した人たち。
だが、自分の尺度で相手の幸・不幸を計って、「因果応報だ」と思い込んで溜飲を下げたくは無い。
(例えば、私自身の事も、もし私が知らずに誰かを傷つけて恨まれていたとしたら、私自身は不幸とは思っていなくても今の私の現状で、その人の尺度から見れば「因果応報」と勝手に思っているかもしれない。恨まれるような事はしていないつもりだが。)

もっとも父の場合、本人はもう理解できないだろうから、それが幸せな事か、それとも不幸なことか・・

 

ただ、私自身だったら、そんな最期は決して迎えたくは無い。

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コメント

初めまして。
自己愛性パーソナリティー障害の友人から逃れた今も、その友人を恨んだり、不幸になればいいのに、と考えたり、しかし、そう考える一方で、こんな事を考えてしまう自分の方こそ、自己愛性パーソナリティー障害なんじゃないだろうか、、、とずっと悩んでおりました。
そんなおり、この記事を拝読して、少しばかり心の重荷が降りた気がしました。
ありがとうございます。
少しづつ、自分の気持ちが整理できるといいな。と思います。

投稿: 華子 | 2015年5月14日 (木) 12時12分

華子様

こんにちは!aiです。
コメント有難うございます。

>その友人を恨んだり、不幸になればいいのに、と考えたり、しかし、そう考える一方で、こんな事を考えてしまう自分の方こそ、自己愛性パーソナリティー障害なんじゃないだろうか、、、とずっと悩んでおりました。

その人限定で心の整理がつくまでの間であれば、私はそう考えるのは 良い と思います。
かつての私も、人間として、相手の不幸を望むなんて・・そう思う自分が「彼ら」と同類のような気がしたものです。
でも、そう思っていいんです。謝って済む事と、済まない事があります。「彼ら」がした事は、そんな言葉では済まない程の事なんです。
取り返しがつかない事というのは、どういうことか、わからないといけないんです。
最も、それがわからないからこそ、「障害」なのだと思います。

幸い、私達は、「彼ら」のようではなく、まともな「感情」や「共感力」や「思いやりの心」「相手を尊重する心」を持っています。
「彼ら」は、それが「本当に分からない」です。可哀そうだと思います。
年を経れば経る程、例えなんとなくおかしいと気づいても、後戻りはできない。
中には、面と向かって「彼ら」に言う人間もいるでしょう。ですが、「彼ら」はそれに気付く事が出来ず、「被害者」に向かって自分の言われた事を繰り返します。それも「モラハラ」の一つになるのだと思います。何故なら、「彼ら」自身が言われた事を理解できずに苦しんでいるから。
だから、「自分は違う」と思いたくて、自分の言われた事を当てはまらなくても相手に言って、自分を救いたいのだと思います。
ですが、それは幼少期から体得するもので、言葉で理解するものではありません。
自分で、それを選んでいるのですから、自分でそのツケを払っていかなくてはならないんです。

だから、私達が「彼らのツケ」を肩代わりする必要はありません。
華子さんだけではなく、「彼ら」はここまで生きていく中で、多くの恨みを買っています。
その必然のマイナスのエネルギーは、「彼ら」が背負うべきものです。
華子さんが、悩む必要は微塵も無いんです。

それよりも、せっかく離れられたのですから、自分の時間を取り戻してください。
「彼ら」に対する一番の報復は、とっとと忘れて華子さん自身が幸せになる事です。

また、遊びに来てくださいね。wink

ai

投稿: ai | 2015年5月15日 (金) 16時19分

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