« 淘汰 | トップページ | 隠そうとする心理 »

好意の返報性

人は、相手から好意を示されると、それを返そうとする心理が働く。

これを「返報性の原理」と言っているが、「彼ら」にかかると返すだけの恩も無いのに、あたかも返す義務があるように思わされる事がある。
また、過大な要求に対して、例えば周囲にそれを相談した場合、相談された相手の中には「それだけ要求してきたということは、それだけのことをしてもらったのでは?自分に都合のよいように、受けた恩を過小申告しているのでは?本当の事を言っていないのでは?」と思われ、そのように答えられる事によって、相談した方は「自分が間違っていたのだろうか?」と今度は自分の基準までも疑うようになる。
相談を受けた相手が、冷静に、客観的に、精査して判断できる人間で無かった場合、つまり相談する相手を間違えると、「彼ら」の被害者は二重に傷つくことになり、へたをすると自滅への道を進むことになる。

「彼ら」は、「異常で不当な過大要求をする」
たとえ、それを第三者が間に入っても、「彼ら」自身、要求できる権利があると思い込んでいるので、自信たっぷりに口に出す。
第三者は、そのあまりの自信のある態度に、相談してきた「彼らの被害者」が、自分に嘘を(本当の事を言っていない)言っているのではないかと疑いの目を向ける。
「彼ら」の捻じ曲げた自分に都合のよい話を、「被害者」がその場で訂正するにも、おかしな理由で「彼ら」はそれを遮り、「被害者」の「悔しさ」は不完全燃焼のまま耐えるしかなくなる。
「彼ら」の自分は悪くないという長い回りくどい話し方(聞いている第三者は、注意深く聞いていないと訳が分からなくなるだろう)と、あからさまな演技過剰のため息や泣き落しに、一つ一つ反応していると、呆れてこちらも口数が少なくなり、「彼ら」がいかにも正しかったと言うままに話は終わってしまう。
その場にいる第三者は、どう思っているのか・・
もっとも、相対する人間や第三者が、うまく「彼ら」をおだてて「彼ら」が主張する自分の権利なるものを調子に乗って話してくれた時点で、にこやかに「彼ら」に対応しても、実は「こいつ頭のネジ2~3本ぶっ飛んでるんじゃないか?!」と思っている事など、「彼ら」は知る由もない。

最近、「彼ら」と思われる人物に関わってしまった。
もう少し、私が若かったら、その術中におちいっていたかもしれない。
その人物も、このブログを見ているかもしれないので、(うっかり教えてしまった。)具体的な事はかけないが、幸い「彼」には、もう先が無い このことだけは、良しとしなければ、と思う。
「本人は、自分で分かっていない。自分の言動が、周囲にどう取られているかも理解していない。」これが、「彼」の言動を実際見聞きした人の感想だ。
それが、「認知の歪み」なのだと思う。

何故、自己愛性が40代になると異常な言動が目立ち始めるのか、分かった気がする。
顔は年相応に老けて、幼い表情と、幼稚な言動、常識的な思考を本を読んでも理解できない。
自分の都合のよい世界に作り替えようと、一対一の場合は、理不尽に理由なく相手を罵倒する。
だが、世間は、40代ともなれば、年相応の対応を求めるものだ。若い頃なら、多少の理不尽さや無軌道な部分は、「若いから、そういうこともあるだろう。」と大目に見てもらえた部分が、その年の頃になると「普通の常識が通じない相手」と言わざるおえなくなる。
あとは、いかに「彼ら」が取り返しのつかない馬脚を現してくれるかだ。

|

« 淘汰 | トップページ | 隠そうとする心理 »

自己愛性人格障害」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1244635/59934567

この記事へのトラックバック一覧です: 好意の返報性:

« 淘汰 | トップページ | 隠そうとする心理 »