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2015年6月

型どりの笑顔

先日SのSNSに毎回掲載される自撮りの「笑顔」が、妙に気持ち悪く、何故なんだろうとずっとひっかかっていた。
昨日、実家に行った際に、父の部屋にあったアルバムを見ると、姉の写真満載で(30才前後)無理やり姉に付き合わされ一緒に旅行に行った私も写っている。
その姉が、Sと全く同じ笑顔だった。

つまり、仮面のようにまるで「型どりしたような笑顔」「笑顔の形をした口元」「歯並びを見せ目をカッと見開いた笑顔」だ。
どの写真を見ても同じ顔だ。1枚だけなら、違和感を感じなかっただろう。だが、十数枚単位で全て全く同じ笑顔。
普通そのシチュエーションや、一緒に写っている人たちや、場所によって、それぞれ顔の表情は自然に変わる、と思っていた。
様々な表情の笑顔があると。
そういえば、私が21に自分の歯をなおした後、姉も前歯から4本と隙間に1本差し歯にして治した。
私ほど酷く出て(父は殴らなくなったが、悪意のある行為が続く)いなかったが、やはり歯並びは綺麗ではなかった。
治した後、私の前で何度も笑顔を作って見せられ、「なんか、変・・」とつい口に出してしまい、姉に「綺麗になった」とついに言わせられるまでしつこく目の前で笑顔をつくられた。
Sの写真と姉の写真を見てやっとわかった。

私は既に11才位から、営業スマイルをする時もあった。
だが、それでも正直なその時々の笑顔や笑みを浮かべていた。
私は写真を皆と撮る時は、必ず笑っていた。その時々の笑顔で。勿論楽しかったから。
姉と旅行に行った私は、何度めかの旅行では、ほとんど笑っていない。
一緒に写っている姉の型どりしたような笑顔が、とても虚ろに見える。
姉の好きな場所で、姉の好きなシチュエーションで、姉の好きなペンションと姉の好きなレストランと姉の好きな話題。
私の着て行く服まで、事前に姉にチェックされた。
この写真を見れば、誰だって同行者(私)がその時だけでなくずっと楽しめてないのに気付くはずだ。
それなのに、何故、白馬だ軽井沢だ那須だ京都だ奈良だ・・と付き合わされる羽目になったのだろう。
何度口に出して、「金がない。時間が無い。行きたくない。」と言う主旨でやんわりと断ったか知れない。
姉は友人がいなかったので、友人と旅行に行った事も日帰りで遊びに行った事も無かった。
ただ、今後誰かとお付き合いする時には、その何か変な違和感は、ところどころ出るだろう。
本も読まない姉は、経験を仮想体験することもできない。(最も、本だけの経験では、経験者から見たらかなりずれて見えるし違和感を感じるからすぐわかるけど。)
だから、私を練習台にしたのだと思う。(姉は寺の件で傷ついていたので、知っていてもあからさまに断れなかった。)
姉に「恋愛の話をしたい」と言われた時、さすがにそんな話を姉としたくなかったので(友人達とは確かに学生時代からしょっちゅうしていたけど)「そんな話をお姉ちゃんとしたいとは全く思っていない!」と言い切り「お前しか話す相手がいないんだ」とすがられたが「そういう話は親兄弟よりも友達とするべきだ。」と友人のいない姉に言い放った。
多分、姉は「友達の作り方」を知らなかったのだと思う。
小学校・中学校・高校といたように思うが、その場だけの付き合いで、写真には写っていてもただの一度も自宅に連れてきた事は無い。(小学校時代、毎晩のように晩御飯をごちそうになっていた料亭の娘たった一人以外)

何十年もかけて、少しづつ少しづつ「彼ら」のパズルが解けてくる。
勿論、私が違っている可能性もあるが、後の方の為にできるだけ記録に残しておこうと思う。

Sは本人のSNSによると「本」をよく読むそうだ。常に本が手元にあった、と言う。
もし、Sが「彼ら」だとすると、「本を読む」事ができるのだろうか?と思っていたが、多分こういうことだと思う。

本を読む-ということは、オックスフォード大学の神経学の教授john Stein氏によると、「読書は大脳のトレーニングだ。」と言い、実際に読書中の脳をMRIでスキャンすると、本の中の景色や音、においや味を想像しただけで、大脳のそれぞれをつかさどる領域が活性化して、新しい神経回路が生まれたそうだ。
体験していないのに、本を読むことであたかも体験したように感じるとのこと。
つまり、イメージしただけで追体験している状態になるそうだ。


ここからは、子供の頃から読書三昧だった私の考えだが、確かに脳の中ではそのような事が起こっているのだろう。
だが、個々人の感じ方は、今までの経験に基づいている。
同じ体験でも違う感じ方や反応をする。
主人公と全く同じ行動や感じ方はしない。
歩んできた人生が全く違う以上、同じ言動はしない。
従って、同じ結果にはならず、周囲も同じ反応はしない。
だから、よく誰かに(主に主人公に)感情移入をして追体験をするかもしれないが、本を閉じた瞬間にこちら側に戻ってくる。
そして、追体験の過程で、既に移入していた感情はついたり離れたりして、「神の視点」になっていたりする。
私は集中力があるほうで、昼間本を読んで本の世界に入っていると、耳元で姉に怒鳴られても気がつかない子供だった。

だが、現実と本は違う。
例え、実体験の手記であっても。
自分にも全く同じ事は起こり得ない。
何かを実現させるためには、地道な努力で一歩一歩進むしかない。

だから、SのブログやSNSの記事を見て、不自然さを感じたのかもしれない。
姉のように、本を読んで練習台にしようとしたのかもしれないが、実体験で何年もかかって身に付く体験を、4~5時間で読み終わってしまう本ではとても体験できない。
また、本人や周囲の現状や今までの経験とは違う事をベースに、それを演じようとしても無理があるだろう。

だから、記事を読むと「綺麗ごとだらけで、実の無い、アピールばかりで、一貫性のないパッチワークのような文章」に思えたのだと思う。

友人達と長い間かけて築いた本当の信頼関係や、自分で一歩一歩努力して実現した後に支えてくれた人々との「本当の笑顔」-

「彼ら」に足りないのは、そういうものなのかもしれない。

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