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2015年8月

イネイブラー(支え手)

ひとりの嘘つきの周囲には、嘘をつき続けることを可能にする「イネイブラー(支え手)」が必ず存在するもので、イネイブラーの心には信じたいという気持ちが潜んでいるそうだ。

人間は、自分の信じたいものを信じる。
目をそむけたくなる真実でも、それを認識して狂気に陥るか、取り返しがつかない事柄であれば、嘘つきに騙されたはずの自分自身を騙す。
傷が浅いうちならたとえ苦しくてもやり直すことができても、それが積み重なればなるほど、引き返すことはできない。

うすうす、身近な「彼ら」の言っていることが「嘘」と気付いても、既にそれで判断してしまった以上そのまま突き進むしかない。
そうして、自身の人生の選択を誤り、家族の選択を結果的に強制してしまう。

イネイブラーは、立派な人間であろうとする。実際、だれが見ても素晴らしい資質をたくさん備えている。
但し、それぞれの美徳には、影の面がある。
有能さを見せつけられれば、周囲の人間の中には無力感を抱き、寛大さは罪悪感を抱かせ、親切な振る舞いは相手の負担になるかもしれない。
そうして、忍耐は、虐待の誘因となるかもしれない。
イネイブラーは、善人の役を演じ、時には自分を虐待させてまで、相手に快を与えようとする。それは、依存関係を強めてしまう。
「彼ら」をパートナーとして選んでしまった場合、信じたくない彼らの本性を、彼らの嘘を「真実」にするため、自分自身を「変質」させてしまう。
それは、「彼ら」から離れても、後に同じようなタイプの人間を惹きつけてしまう。

「嘘は嘘だ。」
「何百回繰り返し言い続け洗脳しようとしても、嘘は嘘だ。」
例え、気付いた時に自分の損害が甚大であっても、やり直すのに時間がかかっても、「彼ら」に侮辱されても、「自分自身の真実を生きた方がいい」

「彼らは、もう「ハリボテ」としてしか一生涯生きられないのだから」それから比べたら、例え10年遅れをとっても、「自分の人生を生き抜く充実感は何物にも代え難い。」

だから、何よりも貴方自身を信じて生き抜いて。

お盆が近づくと、父の死に様を思い出す。
ここにも記せなかった。
もしかしたらイネイブラーをうまくつかんで安らかに死ぬ「彼ら」もいるかもしれない。
だが、多くの「彼ら」の最後は同じだそうだ。それを、あらためてここに記する必要もない。

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「彼ら」のコピー能力

威圧的な態度をとるので、立派な立場にあるかと思いきや、実はなんでもない。

いかにも自信にあふれているので、裏付ける実力があるかと思ったら、まったく何もない。

相手を見下したような話しぶりから、さぞ育ちが良いか博識かと思ったら、特別そんなことはない。

ただ、知らない人間は、小出しにするその「振り」で騙されるかもしれない。
中身のない張りぼてのくせに、自分はすごいんだと見せかけている、本当はたったそれだけだ。
その張りぼてにつじつまを合わせるためにするのが、「コピー能力」だ。

「彼ら」のコピー能力は、優れたコピーもあるが、大体が劣化コピーのつぎはぎ(パッチワーク)なため、うすっぺらく、裏付けが無く、実が無い。
自分で言うスキルを裏付けるだけの実力と専門的知識や、一貫性のある思考が無い。
時間をかけて蓄える手間を省くため、付け焼刃のうえ他人に聞いたあやふやな知識だったりする。
いきあたりばったりの思いつきで動くため、準備すべきことがしておらず、しかも周囲を巻き込み迷惑をかけてもその自覚が無い。

問題は、様々な書籍や他人の感動話や苦労話まで、いかにも自分が経験したことのように「盗む」ことだ。
しかも、「汚い綺麗ごと」(相手を責めるために正論を言っているが、そのことだけを切り取って話すだけで、その場に当てはまらない。)を話すために、他人の大切にしている思い出を盗んで、いかにも自分がその感動的な場面に遭遇し、周囲から信頼された話にすり替えたり、自分が傷つけた相手にしたことを自分がされたことのように言って同情を買ったりする。
※姉ができ婚でデートもしたこともない義兄に、言っていただろう話。

ちなみに、経験があれば「彼ら」の言っていることに必ず「違和感」を感じるはずだ。
どんな上手な嘘や、「彼ら」の思い込みでも。
相手が浅い関係だと、追求しないことをいいことに、詳細は言わず、また詳細は聞きづらいような雰囲気をつくるだろう。
例:悲しそうなそぶり「これ以上は・・ごめん」とか、いい年の男が 涙が出ているのではないかと思われるくらいのオーバーアクションとか。
※20代の子供(成熟している20代の方はごめんなさい)なら劇的な態度に感激して騙される人もいるかもしれないが。
断わっておくが「成人して人前で泣く男は信用できない」たとえ恋人の前でも。これは間違った事はない。
親兄弟の生き死にの場面以外では。一生に1回か2回位だろう。
一般的にはそういう感覚なので、「彼ら」が泣くと、そこまでのことなのか、と騙される。
でも、思い返してほしい。「彼ら」が泣くのは、その内容は、「泣くほどのことではない。」
ただ「被害者の言っていることが嘘で、自分の言っていることが真実だ。」と思わせるためでしかない。

「嘘も百回言えば真実になる」

 

「大きな嘘ほど民衆は疑わない」

ナチスの宣伝大臣 ゲッペルスの言葉。現代のマスコミの手法にも通用するそうだが、よくよく相手の立場、その場の状況、相手との関係性と距離、言葉の意味を考えて対応したいものだ。
そうしなければ、ヒットラーのようなIQの高い「彼ら」であれば、(私はヒットラーは何らかの人格障害だと思っている)容易に人を騙せる。
たとえ、幸いにしてIQが高くない「彼ら」であっても、つじつまは合わないが流れるように話す言葉や理由にもならない「脅し」や一見して爽やかそうな顔立ちで、世間知らずは騙され、重要な役職に付けてしまうかもしれない。

企業に一人でもいれば、生産性は落ち仕事は立ち行かなくなるかもしれない。
家族に一人でもいれば、誰かの一生は潰され家庭は崩壊の一途をたどるかもしれない。
行政に一人でもいれば、その部署から市民の中に次々と犠牲者が出るだろう。
議員に一人でもいれば、市民の血税はドブに捨てたことも同じ、その地域の行政は、滅茶苦茶になるかもしれない。

「相手の理想を膨らませ、自分に投影させる」
実際、ヒットラーが用いた洗脳手法だ。

「彼ら」に気づいたら、「彼ら」が力をつける前に、我々は何をすべきだろうか・・

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