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2016年1月

祈り

以前、面白い記事をみつけた。ポイントだけまとめてみる。

fMRI(ファンクショナル磁気共鳴画像法)などの測定機器や、脳の画像解析等の技術が進み脳科学の分野に多くの発見があった。
昔、「脳内革命」という書籍がベストセラーになり、私も購入したが(実は読んでいない)それも同じような主旨だったと思う。

祈りには、「ネガティブな祈り」と「ポジティブな祈り」がある。

嫌いな人間に、何か悪い事が起きるようにと祈るのが、「ネガティブな祈り」
人間はそうなりがちだが、これは脳に悪影響をもたらす。
ネガティブな感情を持つときには、ストレス物質であるコルチゾールが分泌されるそうだ。
この物質が脳内で過剰に分泌されると、記憶に重要な役割を持つ「海馬」が萎縮してしまうという。

「ポジティブな祈り」の場合、ベータエンドルフィンやドーパミン、オキシトシンなど多幸感をもたらす脳内快感物質が分泌される。
これらは脳を活性化させ、体の免疫力を高めるなどの働きがわかっているそうだ。
もっとも、一見ポジディブな祈りに見える、自分が「勝ちたい」と思うあまり「他人を蹴落としたい」という思いは、アドレナリンやノルアドレナリンが分泌されるそうだ。
これは、常に体を戦闘状態に置くためのホルモンだ。生き残るために戦って勝つことは大切だが、常に戦闘状態にするのは、好ましくない。

では、勝ちたいと思う時は、どのように祈るのかというと、相手の失敗や不幸を願うのではなく、共に成長していこうという祈りが重要だそうだ。
脳内物質のオキシトシンは、別名「愛情ホルモン」とも呼ばれ、大切な誰かのことを思う時(男女の区別なく)オキシトシンが分泌される。
つまり誰かのために祈ること、自分や他人ともの幸福を祈ることが、善い祈りになる。
(自分や自分の家族の利益のために、周囲を情報操作してあたかも周囲の幸福のためと言って行動した場合は、これに当てはまらない。)
「自利利他」だ。

私達は、褒められたり、評価されたりすると、大脳皮質の奥にある「報酬系(側坐核や腹側被蓋野など)」と呼ばれる部分が活動し、喜びや快感を覚える。
また、、「社会脳」と呼ばれる、自分の行動を監視して「善いこと」「悪いこと」を判断している部分「内側前頭前野」がある。
この働きにより、評価が無くても、善い事をしていると報酬系が活動する。

ミラニュートロンという「感情移入」をしてしまう働きがある。これにより共感が生まれ、他者を助けたいと思うようになる。
それは、自分だけが生き残ろうとする場合、邪魔にしかならない。しかし、自分1人だけが生き残ったところで、種としては存続できない。

(参考 「脳科学からみた祈り」 著者 中野信子 http://okguide.okwave.jp/guides/65770/print

ここまで、読み進めていくと、もしかしたら、父の急激な「認知症」の進行(1年で発症から5に近い4。現職の介護士さん達もその進行速度に驚いた。)は、またその発症のきっかけは、姉に裏切られたということよりも、裏切られた事に対する父自身の「黒々しい恨み」が原因だったのでは・・と思えた資料だった。

そうして、特に「彼ら」は共感力が欠如しており、また他者に対する逆恨みや思い込みも多く、「他人を罠にかけてまで蹴落としたい」という願いを持ちやすい。
勿論、心のどこかで「汚い方法を使って相手を貶め」た事は覚えているので、本気でそのような事実はなかったと思いこんで自分を騙しても、「心のどこかで覚えている卑怯な自分・貶めた相手に対する罪悪感」は本当の意味で消すことができない。
「彼ら」の場合は、それが他人にそれを背負ってもらうため、他人をうつ病にしたり、背負わせる他人がいない場合は、自分が「うつ病」になって、周囲に世話と罪悪感を押しつける。
それが、「自己愛性人格障害」の「症状の無い精神疾患」と言われる所以だ。

少し前の話だが、ケアマネさんから、前任者のケアマネさんより、「お姉さんは、精神科に入院か通院していると聞いた。」と聞いた。
事実の有無は、今のケアマネさんも確認したわけではないので、機会があったら確認したほうが・・と言われた。

そこで、一応状況確認に、実家から車で5分の実姉の家に平日夜20時頃行くと、真っ暗。
確認できたわけではないが、そうであっても不思議はない。
それは事実なのか、直接訪ねれば済む事かもしれないが、一方では義兄・長男・次男と3人もいるわけだから、姉のいつものストレスは、そのうちの誰かに背負わせれば済む話で(気の毒だが)多分、姉は幸せに暮らしていると思う。
義兄は、自分が選んだ人間だし、長男・次男は二人とも亡くなった父の母に性格も容姿もそっくりに育ったので、やはり育て方や血というより、自分自身の選択の結果そのようになったとしか思えない。
父が亡くなって3年。
父の葬儀の際に連絡をすれば、弁護士から手紙をよこした義兄も、あれほど溺愛された姉も、介護になった母にも可愛がられていた孫達も、自分の意思で来ないのであれば、例え3人が姉のスケープゴードにされても、あまり同情はできない。
冷たいようだが。
もっとも、その前に姉の前には誰もいなくなると思うが。
そうなったとき、姉はどうなるのだろう。

それでは、姉を含めた「彼ら」は、最期はどのようになるだろうか?
この「祈り」の話ではないが、脳科学で証明されているように、既に「彼ら」自身だけではそのストレスを解消できずに、他罰的・被害妄想と被害者意識が強い以上、例え口では自分の罪を認識したり他者と一緒に成長するという綺麗ごとを言ったところで、「ネガティブな祈り」しかない「彼ら」の最期はおのずと決まっている。
そうして、やはり「彼ら」の行いは、必ず白日の下に晒される。

このブログは、私自身の実体験を元にして書かれている。
その中で、何度か繰り返しているのが、「彼ら」に被害に遭った場合、その被害は甚大だ。
その苦痛や恨みは、相当だと思う。
だが、「彼ら」と同じところまで落ちたら、「彼ら」と同じ「獣」になってしまう。
やられっぱなしは、悔しいし、しかも「彼ら」はあたかも貴方を加害者に仕立て上げ、「彼ら」を被害者と吹聴する。
また、それを信じる貴方側の友人・知人達もいる。
だが、それを信じるのは「それまでの人」。
簡単に他者の情報操作に乗ってしまうということは、今後貴方にとって大事な場面でやはり貴方の足を引っ張る人だから。
それをこの機会に知っただけいい。100%その人間関係は、切って構わない。
貴方の友人が、「彼ら」から貴方に関する悪い話(この時点で貴方を前にして言う事のできない話は、「彼ら」からしたら正々堂々と言えない話と認識できる)を聞いた時、「彼ら」の表情や言葉の言い回しに「違和感」は無かっただろうか?
ともすれば、被害に遭った貴方は、その理不尽さに苦しみ、いつまでも忘れずに相手に対する恨みを募らせてしまうだろう。
だが、その友人は、「貴方」という本当なら大切だった人を、「彼ら」の為に、永久に失ったのだ。
いずれのせよ、「彼ら」の為に、貴方の手を汚す必要はない。
貴方の時間を費やす必要はない。
また、「ネガティブな祈り」は、貴方自身を毒してしまう。

「ひとを呪わば穴二つ」
因果応報という言葉は、全てに対応しているわけではないが、「彼ら」の場合は、これらの言葉は真実になる。
たとえ、「彼ら」がどんな抵抗しようと、精神科医の言う「呪われた病」にかかっているように、そのような一生を送るのだろう。
それは、まぎれもない事実だと改めて思った。

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超極限的制止

極限状態に陥ると、生き延びるために、考える。
今まで正しいと思っていた事が、間違いかもしれない。
混乱を生じ、逆転現象がおこる。
これは、「超極限的刺激」「超極限的制止【Ultramaximum inhibition】」と呼び、大脳の防衛反応によって好きと嫌いが逆転し環境への適応をはかる現象だそうだ。

例えば、エサを与える優しい飼育係と痛みを与える係りにより犬を調教する。
すると、エサを与える飼育係にそっぽを向き、痛みを与える係りにしっぽを振る現象が起きるそうだ。
パブロフの犬実験での話。以前、TVで見た事がある。(出典2013/8/7 ザ!世界仰天ニュース 洗脳スペシャルより)
DVや宗教団体の「マインドコントロール」で行われる。

昨年秋、英国のBBCで、10年監禁されていた女性ノインタビュー番組を見た。
その中で、犯人の子を身ごもり、女の子を出産した女性が、犯人が娘を可愛がるのを見て、今まで憎悪しかなかったのに、あれだけ残虐な事をされいまもって監禁されているのに、犯人に好意を持つようになったと。
私には子供はいないが、自分の子供を可愛がる人間には、確かに好意的になるのは理解できる。
そして、残虐な記憶は薄れ、相手の良いところや、過去あった仕打ちすら誤解だったと自分を騙そうとするかもしれない。
その方が、自分にとっては都合がいい。

母は、そうして自分自身を欺いたのだと思う。
それでも、母のたった一度きりの人生だったものを。

結婚当初の幸せを疑わない無邪気な笑顔と、その後異星人にすり替わったように、他人の不幸をキラキラした目で話し、自分がお腹の子供ごと蹴り殺されそうだった夜に、笑いながら手を打っていた姉と同じ笑顔、そのどちらも今は無い。
今はもう、徐々に進行する認知症のために、そのどちらも忘れて茫々と日々を送っている。

できれば、子供ができる前に、貴方の傍にいるのは「何者なのか」気付いてほしい。
子供がいたら、その子を連れて逃げてほしい。

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