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2016年5月

「彼ら」の記憶障害

「彼ら」にかかわっていくと、まず最初に驚くのが「彼ら」と対峙する被害者との記憶の祖語だ。

「彼ら」の言葉を真に受ける、信じて行動する→
そうしてそれがもとで被害を被る。又は嘘だと判明する。→
その事実をもとに「彼ら」に苦情を言うなり修正を求めるなりする。→
「彼ら」はそのような事を言っていない。と言い張り、こちらの記憶違いか思い違いと言われる。→
何度か繰り返され、不審を抱いて第三者を立てて、「彼ら」にその事を追求しても、貴方が悪いと、第三者にもそう思われるように、大げさにため息をつき呆れたように第三者をも自分の共犯者に仕立てようとする。
間に入った第三者も、あまりに自信のありそうな「彼ら」の態度に、どちらに非があるか分からなくなる。
この時、間に入った第三者が、「彼ら」のようなタイプを知らずに、今まで平穏無事に生きてきた人間だと厄介だ。
悪気なく、「思い違いじゃないか、気にしすぎじゃないか、貴方にも悪いところがあったのでは?」との考えに誘導される。
何と言っても、「彼ら」のような「邪悪な人間」の存在を身近に感じた事もなく、感じたくもないのだから。
味方になってくれると信じていた第三者が、「彼ら」に同調して貴方の「敵」になる。
貴方は、信頼していた第三者までも、自分に非があるように言ってきたため、「やはり自分に非があったのだろうか?私は「彼ら」の言うように頭がおかしいのだろうか?」と絶望的になる。
その機を狙って、「彼ら」は貴方が信頼していた第三者の言葉を繰り返し、貴方が自分を守る意思を放棄するまで、追い詰める。
貴方は、自分自身を責め、周囲の人間達が、我慢を重ねて自分と付き合ってくれていたと思い、自分が生きていてはいけないものと思い、「彼ら」の奴隷と化すまで・・

当時の「私」を支えてくれたのは、祖父母との記憶と、可愛がってくれた叔父だった。
学校の道徳教育と、日本国憲法と、書物と絵だった。
長じて知り合った、私を好いてくれた友人達だった。
肉体的な暴力は、痛みを精神から切り離せば、骨折までなら、多少は我慢できた。
問題は、精神の暴力だ。それは、生きていく気力を奪う。
「彼ら」は、それに長けている。

だが、第三者から見て「真実」に思えるほどの「彼ら」の記憶のねつ造は、何故なのだろう。
本人がそう思い込んでいるとしか思えない。
だが、別な部分では、それが違う事を、知っている。
この矛盾した現象は何故なのだろう。
昨年、別な人物で、それを目の当たりにして、その異様な現象に、夫と顔を見合わせた。
最近、そういった人物がニュースにもなって巷を賑わせている。だからか、その答えの一つと思われる記事を見つけた。

1.ストレス記憶障害

加齢や事故ではなく、私たちの身近にあるストレスによっても記憶障害になる場合があるそうだ。
これは、そのまま放っておくと起こりうる危険であり、ストレスを受けるとそうなるということではない。
通常、ストレスを受けると、不眠になったり、円形脱毛症になったり、ついには「鬱病」になったりする。
そのまま放置し、過度なストレスにかかり続けることで、下記のような現象が起きるそうだ。

1.脳が嫌だった記憶を消そうとする。
2.ストレスは、脳内の「海馬」を委縮させてしまう。

メカニズムの1 無意識に脳が記憶を消そうと働く。
あまりにも耐えがたい・受け入れがたい経験は、脳が記憶から切り離そうとしてしまい、結果として記憶障害の症状が出ると考えられているそうだ。

メカニズムの2 ホルモンが、記憶をつかさどる脳の器官を委縮させる。
強いストレスが加わると、「コルチゾール」(別名ストレスホルモン)が分泌される。
これは、本来なら人間にとって必要なものだが、大量に分泌されると「海馬」を委縮させてしまう。
「海馬」は脳内で短期記憶を主に司っている。これが、ストレスホルモンの影響で縮んでしまうと、記憶障害の症状が出ると考えられるそうだ。

これは、「彼ら」のスケープゴードにされた人間が、ついにはなる現象だと思う。

実は、私にも覚えがあるからだ。
私は、自慢じゃないが、周囲から記憶力が良いと(人によっては、それが怖いと)言われる方だ。
だが、このブログを書き始めるきっかけとなった「M」に、「酷い暴言」を吐かれた時、体が痺れて座ったまま立ち上がる事もできない程の衝撃を受けながら、その直後から、その内容を全く覚えていない。
覚えているのは「こんな事あるはずがない。」との思いと、「私の聞き違いじゃないか?」との自己否定になる思いだけだった。
何度も思い出そうとしたが、未だに思い出せない。
逆にそれが、私の恐怖になった。
姉や父や時々の母に言われた事も、ここに書いたように断片的にしか覚えていないが、それでも他人の「M」に言われたショックよりは、日々言われていたせいか免疫があったのか、そこまでの衝撃を受けなかった。
昨年、仕事上で「彼ら」と思われる人間にかかわった。
その際の暴言は、記録できたし、覚えてもいる。
少しは、免疫がついたということか、とも思うが、本来なら知らない方がいいことだ。

「彼ら」も、そもそも私達と同じ「人間」だったはずだ。

私達が自分の精神を守り自分が生きていく為に、「彼ら」の悪行の記憶を消すように、「彼ら」は本来の自分を証明する為の記憶(ストレスにしかならない)を消したのかもしれない。
そうして、私達は消してしまった記憶の替りを作ることなくいるものを、「彼ら」の場合は理想の自分を証明する為の記憶に作り上げてしまったのだと思う。

その繰り返しが、「彼ら」の脳そのものを破壊し続けたのかもしれない。

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盗まれる記憶

彼らは気に入ったシュチエーションや感動的な話、会話をそっくりそのまま覚えていて、さも自分が経験したか考えたか言ったかのように話す。
その場合、こういう考え方の人間は、こういう場合こう答える、という一貫性がある。
それに当てはまるか、確認して欲しい。

彼らには一貫性がない。
また以前こう言ったというと、まず忘れている。
こちらが言った事を、自分の言葉のように話されると、滑稽を通り越して唖然としてしまう。
往々にして「彼ら」はそれをやる。
人間は、必ず同じ行動パターンと言動がある。
一見感動的で神秘的な話や行動は、魅力的に見えるかもしれない。
だが、少し経つとわかるはずだ。そのバラバラの言動に。

だが、関係性が深まって~それらが判明したりするため、被害者は、他ならぬ「彼ら」の為につじつまを合わせ、自分自身も欺く。
それが、「彼ら」を増長させ、全能感を持たせ、貴方は自分自身の人生を売り渡してしまう。

貴方の記憶は、貴方だけのもの。
貴方の記憶は、貴方だけの歴史。
貴方という人間を形作った、貴方と他者を区別することのできる、貴方のアイデンティティ。

「彼ら」に、決して渡してはならない。

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