このブログの記事について

このブログに書いてある事は、全て真実だ。
但し、事柄は事実だが、私は専門医ではないので自分の身近に起こった事に対しての意見は、私見にすぎない。
それでもこのブログを続けているのは、4年前の事の発端より自分の家族の事から、同様の事が他の人間にあった場合、人生の早いうちに逃げ出して幸せになって欲しかったからだ。
最初は、私自身前へ進む為の気持ちの整理の為と、誰も見てくれなくても、もしかしたら一人でも見てくれれば、抜け出すきっかけになるのでは、と思っていた。

ブログを始めて1ヶ月と経たないうちに、アクセスログの多さに驚いた。検索キーワードやアクセス地域に驚いた。
国内外問わず、短期間のうちに「自己愛性人格障害」に関する記事にアクセスする多くの人々。
終了することができなくなり、PCの向こう側に、もしかしたら10才の頃の私がいるかもしれない。そうして生き抜くための支えに、少しでもなっていれば・・と思った。

そのうちコメントだけでなく、たくさんの方からメールが届いた。
どれも深刻で、私の経験や知識だけでは心もとない。それでも出来る限りの言葉で答えさせて頂いた。

最近、ブログに嘘を書いて自分を虚飾したりする人がいるという。
架空の自分をつくって、ストレス発散をしているという話もあるが、匿名にしろ実名にしろそれがもとでトラブルになることもあるそうだ。
もっともそれは、特定されないように自衛のためもあるそうだが、顔写真や動画や地図を掲載しているわけでもないので、そこまで(フェイク)する必要があるかわからない。うっかり書いた事で怖い目にでもあったのかもしれないし、その方それぞれの考え方にもよるので一概には言えない。
ただ、私の場合、嘘だのフェイク(それが個人ブログでは容認されているようだ。IT関連の仕事をしているが、その事を実は知らなかった。)を入れると、私自身の意見がぶれるので、嘘は論外だしフェイクだのも入れていない。
大局は影響ないと言われるかもしれないが、直接関係なくともちょっとした生活の中での選択や好みも、反映されていると思っているので。
私の記憶や経験は私のものであり、例えつらいことであっても、それが今の私をつくっている。
ブログに嘘を書く人は、どうも「彼ら」とだぶってしまう。
「現実の自分」と「理想の自分」かもしれないが、少しづつ「現実の自分」から乖離しないだろうか。
意識していれば、と言うかもしれないが、日々「理想の自分」をさも本当のことのように書いていると、いずれは「現実の自分」を受け入れることができ難くなると思う。人間はそこまで器用ではない。
昔の話だが教育心理学を教師の資格を取る際学んだので、私はそう感じてしまう。
せめて小説でこれはフィクションと最初からうたっていた方が良いとは思うが、様々な考え方の人がいるから、それを否定する気もないしその権利も私にはない。
もっとも自分の身近な人間なら、注意するし、変わらないようなら現実の世界も多かれ少なかれそうだと思うので、残念だが付き合いはやめると思う。
最初からでも、途中からでも「創作ブログ」であれば問題ないが、「日記ブログ」でそれをやったら、本気で信じてコメント書いたりメール下さった方を傷つける事になる。
度が過ぎて、それに思い至らないほどの人間性は理解できないし、現実世界でも同じ事をいずれやるようになるからだ。
嘘までついて書く意味がわからないし、基本的に「嘘つき」は(思いやりでつくものや、思い違いで結果的に嘘になってしまったもの、やむにやまれずついたもの以外)受け付けられない。

昔子供の頃入院していた時、家族が見舞にも来てくれないお婆ちゃんが、時たま同じ入院患者から頂いた食べ物を、さも家族が持って来てくれたと私に分けてくれた事があった。
後で嘘とわかったが、それをわざわざ咎めるような事はしない。
人間寂しい時や精神のバランスを保つために、一生半身不随になっても昔の旧友に「元気で働いてる」とか嘘の手紙を書く時もある。
ただ、ネットの嘘はそこまで「真面目でやむにやまれぬ」ものではない気がする。
多分それは、ネットの匿名性と相手が見えない事で、「無責任な言葉を言ってもいい」との思い込みだと思う。
下手をすると「信じたほうが悪い」と「彼ら」と同じ論理を振り回しかねない。
公の場に公開するものなのに、「傷つく相手がいる」 ということを想像できないのかもしれない。
自衛のためなら、特定されるようなことを書かなければいいだけだし、「嘘」を付かなければ書けない記事はそもそも書かなければいい。
虚飾で「嘘」をつくのは「彼ら」と同じ。そのうち「現実」と「夢」の区別がつけ難くなる。モラルのハードルが低くなるので。例え「彼ら」ではないにしても。

また、中には、私の記事をそっくりそのまま勝手に、さも自分が書いているように使われる人もいる。
そう言った事を見つけると、著作権云々もあるが、怖いのが本当に理解していないその人間に向かって、記事を読んだ方からメールの相談を受けた際、どこまで責任を持って答えられるかだ。
答えによっては、メールを送ってきた方の人生も左右しかねない。勝手に使われても、それは私の預り知らぬところなので、責任はとれない。
それに、散々「彼ら」にやられてきた事なので、被害者が自分がされて悔しい思いをしてきたことを、何故相手にできるのが、私には理解できない。ただ、私の記憶(他人の記事)を盗んで欲しくないだけだ。

また、各記事が少なからず長めなのは、「彼ら」に悪用されるのを防ぐ目的もある。
少なくとも、過剰警戒型の「彼ら」は、知っている限りでは長い文章を理解するのは難しい。また根気よく読むのも無理だ。
だが、中には、ここにあるエピソードをさも自分が経験したと匂わせる「彼ら」もいるだろう。
姉が「うちは複雑な家庭だから」と多くを語らず、自分に対する追及を避け、その時だけ父を病院から引き取り介護用の自宅設備費(市よりの助成金)をもらったように。
また、Mのようにさも自分は被害者と匂わさせるために。

通常こういった話は、対面なら、余程親しく相手を見ないとまず、言わない。
何故なら暴力や言葉にはひどいものが多く、聞く側が精神的にきついし、話すにしても中途半端に言わずに全て話すか、話さないかのどっちかだ。
勿論、話す側も一緒に排斥される可能性もある。理解できない人間として。同種類の人間として。
匂わせるだけは、論外だ。
また、何の関係もない他人に話す事はない。言ったところでどうにもならないからだ。

安易にここの記事を黙って使うことや(勿論連絡を頂いて、参考記事として「引用」表示があり使いたいという要望があれば、今まで通り快く承諾できると思う。リンクもOKだ。)安易にエピソードをさも自分が経験したように、嘘を書いたりすることはして欲しくない。事がことだけに。

また、「彼ら」に悪用された場合、騙されないでほしい。

個人的な事をも記事にしているが、私自身は特定されないだろうと思う。
何故なら、ここに書いてある事は、夫以外話した事が無い。
親友達は女性で様々な経験を積んでいるが、彼女たちには関係がない。また、聞く事でストレスになる事もある。
父や姉に関しては言わずもがなだ。彼女たち自身が私との付き合いの中で察しているので、言う必要はない。
また、注意深い方なら大体どの地方に住んでいるか位はわかるかもしれないが、何百万人の中特定できようもない。
だから、いわゆるフェイクは必要ないと私に関しては思っている。

(記事に関して1~10まで真実を書いても、個人が特定されるような情報を書かなければいいだけの話だ。と私は思っている。
それ以外の個人特定は下記の通りになる。

1.被害者が(名誉棄損とか事件性がないと駄目なので)掲示板又はブログ等での自分に対する中傷誹謗があった場合、それをブログ管理会社に弁護士よりIPアドレス開示請求
2.勿論片方の言い分だけなので、開示拒否
3.裁判所へ弁護士が開示請求
4.認められれば裁判所より管理会社へ開示請求
5.管理会社がIPアドレス開示
6.そのIPアドレスでもって、プロパイダへ開示請求
7.プロパイダ拒否
8.プロパイダ相手に提訴
9.プロパイダに勝訴したら、個人情報の開示請求
結論 だが、その情報は必ずしも個人特定には至らない。何故ならその場所(アクセスIPのみ)特定はできても、その場所で誰が使ったか、誰がそのPCを使ったか特定できない。
まして、普通は2か3くらいまでだろう。つまり50万以上の金をかけて時間と手間をかけ調べるには、よほどの事が無いとできないと思う。しかも必ずしもわかるとは限らない。それ以前に犯罪性がある場合をのぞいて、個人情報を取り扱っているプロパイダが敗訴する事はまず、私が知っている限りでは、無い。
フェイクの必要があるブログというのは、記事によっては個人を特定できる記事になってしまうテーマを書くからだろうか。)

ここにある記事は、もし被害に遭っている人がいたら、これをきっかけに今後の方向性を決める足掛かりになるかもしれない。
生き延びるための支えや知恵にもなるかもしれない。
聞く側読む側がそれぞれのエピソードを精神的にきつく感じても、それでも検索して何とか情報を欲してきた人々だ。
だが、悪用して被害者をさらに騙すための、材料にもされるかもしれない。
彼らは気に入ったシュチエーションや感動的な話、会話をそっくりそのまま覚えていて、さも自分が経験したか考えたか言ったかのように話す。
その場合、こういう考え方の人間は、こういう場合こう答える、という一貫性がある。
それに当てはまるか、確認して欲しい。
彼らには一貫性がない。また以前こう言ったというと、まず忘れている。
人間は、必ず同じ行動パターンと言動がある。
一見感動的で神秘的な話や行動は、魅力的に見えるかもしれない。だが、少し経つとわかるはずだ。そのバラバラの言動に。

また、エピソードで名前を伏せてある方ー例えばO先生とかーの本名を聞いて欲しい。隠す理由は無いので答えられなければ、他人の記憶や思い出を盗んでいるということだ。又、具体的な証拠を自然に示すとかで判断できると思う。例えば、腕の傷、額の傷、場所等。
ちなみに、姉はよく私にした数々のことを、さも私にされたと義兄に言っていた。
つまりそれが他人から見たらひどいことだと理解していたわけだ。
もっとも、結婚後さすがに義兄もその違和感に気付いたようだが、現在は判らない。
あえて姉の言う事を信じなければ、自分があまりにも惨めだろうから。

最近、個人的に具体的なエピソードを入れていたので、「彼ら」に材料にされるのは本意ではない為と、ブログに嘘の記事を書く人が思ったより多いと聞いて、せっかく訪れて被害から脱出を図ろうとしている人から不信でもって読まれると困るので、書かせて頂きました。

ai  -2013.6.26

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