カテゴリー「自己愛性人格障害」の130件の記事

「彼ら」の記憶障害

「彼ら」にかかわっていくと、まず最初に驚くのが「彼ら」と対峙する被害者との記憶の祖語だ。

「彼ら」の言葉を真に受ける、信じて行動する→
そうしてそれがもとで被害を被る。又は嘘だと判明する。→
その事実をもとに「彼ら」に苦情を言うなり修正を求めるなりする。→
「彼ら」はそのような事を言っていない。と言い張り、こちらの記憶違いか思い違いと言われる。→
何度か繰り返され、不審を抱いて第三者を立てて、「彼ら」にその事を追求しても、貴方が悪いと、第三者にもそう思われるように、大げさにため息をつき呆れたように第三者をも自分の共犯者に仕立てようとする。
間に入った第三者も、あまりに自信のありそうな「彼ら」の態度に、どちらに非があるか分からなくなる。
この時、間に入った第三者が、「彼ら」のようなタイプを知らずに、今まで平穏無事に生きてきた人間だと厄介だ。
悪気なく、「思い違いじゃないか、気にしすぎじゃないか、貴方にも悪いところがあったのでは?」との考えに誘導される。
何と言っても、「彼ら」のような「邪悪な人間」の存在を身近に感じた事もなく、感じたくもないのだから。
味方になってくれると信じていた第三者が、「彼ら」に同調して貴方の「敵」になる。
貴方は、信頼していた第三者までも、自分に非があるように言ってきたため、「やはり自分に非があったのだろうか?私は「彼ら」の言うように頭がおかしいのだろうか?」と絶望的になる。
その機を狙って、「彼ら」は貴方が信頼していた第三者の言葉を繰り返し、貴方が自分を守る意思を放棄するまで、追い詰める。
貴方は、自分自身を責め、周囲の人間達が、我慢を重ねて自分と付き合ってくれていたと思い、自分が生きていてはいけないものと思い、「彼ら」の奴隷と化すまで・・

当時の「私」を支えてくれたのは、祖父母との記憶と、可愛がってくれた叔父だった。
学校の道徳教育と、日本国憲法と、書物と絵だった。
長じて知り合った、私を好いてくれた友人達だった。
肉体的な暴力は、痛みを精神から切り離せば、骨折までなら、多少は我慢できた。
問題は、精神の暴力だ。それは、生きていく気力を奪う。
「彼ら」は、それに長けている。

だが、第三者から見て「真実」に思えるほどの「彼ら」の記憶のねつ造は、何故なのだろう。
本人がそう思い込んでいるとしか思えない。
だが、別な部分では、それが違う事を、知っている。
この矛盾した現象は何故なのだろう。
昨年、別な人物で、それを目の当たりにして、その異様な現象に、夫と顔を見合わせた。
最近、そういった人物がニュースにもなって巷を賑わせている。だからか、その答えの一つと思われる記事を見つけた。

1.ストレス記憶障害

加齢や事故ではなく、私たちの身近にあるストレスによっても記憶障害になる場合があるそうだ。
これは、そのまま放っておくと起こりうる危険であり、ストレスを受けるとそうなるということではない。
通常、ストレスを受けると、不眠になったり、円形脱毛症になったり、ついには「鬱病」になったりする。
そのまま放置し、過度なストレスにかかり続けることで、下記のような現象が起きるそうだ。

1.脳が嫌だった記憶を消そうとする。
2.ストレスは、脳内の「海馬」を委縮させてしまう。

メカニズムの1 無意識に脳が記憶を消そうと働く。
あまりにも耐えがたい・受け入れがたい経験は、脳が記憶から切り離そうとしてしまい、結果として記憶障害の症状が出ると考えられているそうだ。

メカニズムの2 ホルモンが、記憶をつかさどる脳の器官を委縮させる。
強いストレスが加わると、「コルチゾール」(別名ストレスホルモン)が分泌される。
これは、本来なら人間にとって必要なものだが、大量に分泌されると「海馬」を委縮させてしまう。
「海馬」は脳内で短期記憶を主に司っている。これが、ストレスホルモンの影響で縮んでしまうと、記憶障害の症状が出ると考えられるそうだ。

これは、「彼ら」のスケープゴードにされた人間が、ついにはなる現象だと思う。

実は、私にも覚えがあるからだ。
私は、自慢じゃないが、周囲から記憶力が良いと(人によっては、それが怖いと)言われる方だ。
だが、このブログを書き始めるきっかけとなった「M」に、「酷い暴言」を吐かれた時、体が痺れて座ったまま立ち上がる事もできない程の衝撃を受けながら、その直後から、その内容を全く覚えていない。
覚えているのは「こんな事あるはずがない。」との思いと、「私の聞き違いじゃないか?」との自己否定になる思いだけだった。
何度も思い出そうとしたが、未だに思い出せない。
逆にそれが、私の恐怖になった。
姉や父や時々の母に言われた事も、ここに書いたように断片的にしか覚えていないが、それでも他人の「M」に言われたショックよりは、日々言われていたせいか免疫があったのか、そこまでの衝撃を受けなかった。
昨年、仕事上で「彼ら」と思われる人間にかかわった。
その際の暴言は、記録できたし、覚えてもいる。
少しは、免疫がついたということか、とも思うが、本来なら知らない方がいいことだ。

「彼ら」も、そもそも私達と同じ「人間」だったはずだ。

私達が自分の精神を守り自分が生きていく為に、「彼ら」の悪行の記憶を消すように、「彼ら」は本来の自分を証明する為の記憶(ストレスにしかならない)を消したのかもしれない。
そうして、私達は消してしまった記憶の替りを作ることなくいるものを、「彼ら」の場合は理想の自分を証明する為の記憶に作り上げてしまったのだと思う。

その繰り返しが、「彼ら」の脳そのものを破壊し続けたのかもしれない。

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盗まれる記憶

彼らは気に入ったシュチエーションや感動的な話、会話をそっくりそのまま覚えていて、さも自分が経験したか考えたか言ったかのように話す。
その場合、こういう考え方の人間は、こういう場合こう答える、という一貫性がある。
それに当てはまるか、確認して欲しい。

彼らには一貫性がない。
また以前こう言ったというと、まず忘れている。
こちらが言った事を、自分の言葉のように話されると、滑稽を通り越して唖然としてしまう。
往々にして「彼ら」はそれをやる。
人間は、必ず同じ行動パターンと言動がある。
一見感動的で神秘的な話や行動は、魅力的に見えるかもしれない。
だが、少し経つとわかるはずだ。そのバラバラの言動に。

だが、関係性が深まって~それらが判明したりするため、被害者は、他ならぬ「彼ら」の為につじつまを合わせ、自分自身も欺く。
それが、「彼ら」を増長させ、全能感を持たせ、貴方は自分自身の人生を売り渡してしまう。

貴方の記憶は、貴方だけのもの。
貴方の記憶は、貴方だけの歴史。
貴方という人間を形作った、貴方と他者を区別することのできる、貴方のアイデンティティ。

「彼ら」に、決して渡してはならない。

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祈り

以前、面白い記事をみつけた。ポイントだけまとめてみる。

fMRI(ファンクショナル磁気共鳴画像法)などの測定機器や、脳の画像解析等の技術が進み脳科学の分野に多くの発見があった。
昔、「脳内革命」という書籍がベストセラーになり、私も購入したが(実は読んでいない)それも同じような主旨だったと思う。

祈りには、「ネガティブな祈り」と「ポジティブな祈り」がある。

嫌いな人間に、何か悪い事が起きるようにと祈るのが、「ネガティブな祈り」
人間はそうなりがちだが、これは脳に悪影響をもたらす。
ネガティブな感情を持つときには、ストレス物質であるコルチゾールが分泌されるそうだ。
この物質が脳内で過剰に分泌されると、記憶に重要な役割を持つ「海馬」が萎縮してしまうという。

「ポジティブな祈り」の場合、ベータエンドルフィンやドーパミン、オキシトシンなど多幸感をもたらす脳内快感物質が分泌される。
これらは脳を活性化させ、体の免疫力を高めるなどの働きがわかっているそうだ。
もっとも、一見ポジディブな祈りに見える、自分が「勝ちたい」と思うあまり「他人を蹴落としたい」という思いは、アドレナリンやノルアドレナリンが分泌されるそうだ。
これは、常に体を戦闘状態に置くためのホルモンだ。生き残るために戦って勝つことは大切だが、常に戦闘状態にするのは、好ましくない。

では、勝ちたいと思う時は、どのように祈るのかというと、相手の失敗や不幸を願うのではなく、共に成長していこうという祈りが重要だそうだ。
脳内物質のオキシトシンは、別名「愛情ホルモン」とも呼ばれ、大切な誰かのことを思う時(男女の区別なく)オキシトシンが分泌される。
つまり誰かのために祈ること、自分や他人ともの幸福を祈ることが、善い祈りになる。
(自分や自分の家族の利益のために、周囲を情報操作してあたかも周囲の幸福のためと言って行動した場合は、これに当てはまらない。)
「自利利他」だ。

私達は、褒められたり、評価されたりすると、大脳皮質の奥にある「報酬系(側坐核や腹側被蓋野など)」と呼ばれる部分が活動し、喜びや快感を覚える。
また、、「社会脳」と呼ばれる、自分の行動を監視して「善いこと」「悪いこと」を判断している部分「内側前頭前野」がある。
この働きにより、評価が無くても、善い事をしていると報酬系が活動する。

ミラニュートロンという「感情移入」をしてしまう働きがある。これにより共感が生まれ、他者を助けたいと思うようになる。
それは、自分だけが生き残ろうとする場合、邪魔にしかならない。しかし、自分1人だけが生き残ったところで、種としては存続できない。

(参考 「脳科学からみた祈り」 著者 中野信子 http://okguide.okwave.jp/guides/65770/print

ここまで、読み進めていくと、もしかしたら、父の急激な「認知症」の進行(1年で発症から5に近い4。現職の介護士さん達もその進行速度に驚いた。)は、またその発症のきっかけは、姉に裏切られたということよりも、裏切られた事に対する父自身の「黒々しい恨み」が原因だったのでは・・と思えた資料だった。

そうして、特に「彼ら」は共感力が欠如しており、また他者に対する逆恨みや思い込みも多く、「他人を罠にかけてまで蹴落としたい」という願いを持ちやすい。
勿論、心のどこかで「汚い方法を使って相手を貶め」た事は覚えているので、本気でそのような事実はなかったと思いこんで自分を騙しても、「心のどこかで覚えている卑怯な自分・貶めた相手に対する罪悪感」は本当の意味で消すことができない。
「彼ら」の場合は、それが他人にそれを背負ってもらうため、他人をうつ病にしたり、背負わせる他人がいない場合は、自分が「うつ病」になって、周囲に世話と罪悪感を押しつける。
それが、「自己愛性人格障害」の「症状の無い精神疾患」と言われる所以だ。

少し前の話だが、ケアマネさんから、前任者のケアマネさんより、「お姉さんは、精神科に入院か通院していると聞いた。」と聞いた。
事実の有無は、今のケアマネさんも確認したわけではないので、機会があったら確認したほうが・・と言われた。

そこで、一応状況確認に、実家から車で5分の実姉の家に平日夜20時頃行くと、真っ暗。
確認できたわけではないが、そうであっても不思議はない。
それは事実なのか、直接訪ねれば済む事かもしれないが、一方では義兄・長男・次男と3人もいるわけだから、姉のいつものストレスは、そのうちの誰かに背負わせれば済む話で(気の毒だが)多分、姉は幸せに暮らしていると思う。
義兄は、自分が選んだ人間だし、長男・次男は二人とも亡くなった父の母に性格も容姿もそっくりに育ったので、やはり育て方や血というより、自分自身の選択の結果そのようになったとしか思えない。
父が亡くなって3年。
父の葬儀の際に連絡をすれば、弁護士から手紙をよこした義兄も、あれほど溺愛された姉も、介護になった母にも可愛がられていた孫達も、自分の意思で来ないのであれば、例え3人が姉のスケープゴードにされても、あまり同情はできない。
冷たいようだが。
もっとも、その前に姉の前には誰もいなくなると思うが。
そうなったとき、姉はどうなるのだろう。

それでは、姉を含めた「彼ら」は、最期はどのようになるだろうか?
この「祈り」の話ではないが、脳科学で証明されているように、既に「彼ら」自身だけではそのストレスを解消できずに、他罰的・被害妄想と被害者意識が強い以上、例え口では自分の罪を認識したり他者と一緒に成長するという綺麗ごとを言ったところで、「ネガティブな祈り」しかない「彼ら」の最期はおのずと決まっている。
そうして、やはり「彼ら」の行いは、必ず白日の下に晒される。

このブログは、私自身の実体験を元にして書かれている。
その中で、何度か繰り返しているのが、「彼ら」に被害に遭った場合、その被害は甚大だ。
その苦痛や恨みは、相当だと思う。
だが、「彼ら」と同じところまで落ちたら、「彼ら」と同じ「獣」になってしまう。
やられっぱなしは、悔しいし、しかも「彼ら」はあたかも貴方を加害者に仕立て上げ、「彼ら」を被害者と吹聴する。
また、それを信じる貴方側の友人・知人達もいる。
だが、それを信じるのは「それまでの人」。
簡単に他者の情報操作に乗ってしまうということは、今後貴方にとって大事な場面でやはり貴方の足を引っ張る人だから。
それをこの機会に知っただけいい。100%その人間関係は、切って構わない。
貴方の友人が、「彼ら」から貴方に関する悪い話(この時点で貴方を前にして言う事のできない話は、「彼ら」からしたら正々堂々と言えない話と認識できる)を聞いた時、「彼ら」の表情や言葉の言い回しに「違和感」は無かっただろうか?
ともすれば、被害に遭った貴方は、その理不尽さに苦しみ、いつまでも忘れずに相手に対する恨みを募らせてしまうだろう。
だが、その友人は、「貴方」という本当なら大切だった人を、「彼ら」の為に、永久に失ったのだ。
いずれのせよ、「彼ら」の為に、貴方の手を汚す必要はない。
貴方の時間を費やす必要はない。
また、「ネガティブな祈り」は、貴方自身を毒してしまう。

「ひとを呪わば穴二つ」
因果応報という言葉は、全てに対応しているわけではないが、「彼ら」の場合は、これらの言葉は真実になる。
たとえ、「彼ら」がどんな抵抗しようと、精神科医の言う「呪われた病」にかかっているように、そのような一生を送るのだろう。
それは、まぎれもない事実だと改めて思った。

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超極限的制止

極限状態に陥ると、生き延びるために、考える。
今まで正しいと思っていた事が、間違いかもしれない。
混乱を生じ、逆転現象がおこる。
これは、「超極限的刺激」「超極限的制止【Ultramaximum inhibition】」と呼び、大脳の防衛反応によって好きと嫌いが逆転し環境への適応をはかる現象だそうだ。

例えば、エサを与える優しい飼育係と痛みを与える係りにより犬を調教する。
すると、エサを与える飼育係にそっぽを向き、痛みを与える係りにしっぽを振る現象が起きるそうだ。
パブロフの犬実験での話。以前、TVで見た事がある。(出典2013/8/7 ザ!世界仰天ニュース 洗脳スペシャルより)
DVや宗教団体の「マインドコントロール」で行われる。

昨年秋、英国のBBCで、10年監禁されていた女性ノインタビュー番組を見た。
その中で、犯人の子を身ごもり、女の子を出産した女性が、犯人が娘を可愛がるのを見て、今まで憎悪しかなかったのに、あれだけ残虐な事をされいまもって監禁されているのに、犯人に好意を持つようになったと。
私には子供はいないが、自分の子供を可愛がる人間には、確かに好意的になるのは理解できる。
そして、残虐な記憶は薄れ、相手の良いところや、過去あった仕打ちすら誤解だったと自分を騙そうとするかもしれない。
その方が、自分にとっては都合がいい。

母は、そうして自分自身を欺いたのだと思う。
それでも、母のたった一度きりの人生だったものを。

結婚当初の幸せを疑わない無邪気な笑顔と、その後異星人にすり替わったように、他人の不幸をキラキラした目で話し、自分がお腹の子供ごと蹴り殺されそうだった夜に、笑いながら手を打っていた姉と同じ笑顔、そのどちらも今は無い。
今はもう、徐々に進行する認知症のために、そのどちらも忘れて茫々と日々を送っている。

できれば、子供ができる前に、貴方の傍にいるのは「何者なのか」気付いてほしい。
子供がいたら、その子を連れて逃げてほしい。

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「彼ら」のゲーム

「彼ら」の特長の一つに「ゲームに誘いこむ」という手口がある。
つまり、「人の心をあおって、相手にミスを犯させる」ことだ。


こちらの神経に触る事を、ぐずぐずしつこく繰り返され、既に結論が出ていてこれ以上話す気はないと言っても、話をやめる理由を「本当は言われると都合が悪いからだ」とか「それが事実だからだ」とか、勝手に話を作ってこちら側に非があるように持っていこうとする。
「本当は私を妬んでるんだろう」とか。それをぼそぼそ、こそこそ言いつのる。
最初は、やんわりと「違う」と意思表示しても、繰り返されるそれに少しづつイライラが募り、最後は声を荒げるまで。
そして、その場は必ずといっていいほど周囲に赤の他人がいて(通行人のいる通りとか、インターネット上の掲示板でもいい)
周囲に赤の他人がいると思えば、小さい声で「違う」とか「もうやめよう」「そんなこと思ってもないから」とかいうわけだが、勿論、聞こえないふりかこちらの神経を逆なでするような物言いをする。
最後にこちらが大きな声を出すと、決まって「おーいやだ。お前恥ずかしくないのか。みんなが見てるぞ。お前の頭がおかしいって。」とわざわざ、周囲を見回し、肩を大げさに落してため息をつき、頭を抱えるか周囲の全く赤の他人に同意を求めるため、両手を広げてうすら笑い。(私はこんなどうしようもない頭のおかしい人を、お守しなくちゃならない被害者です。皆さん同情して下さい。)
その場面が、何も法的に問題が無ければ、その時だけの屈辱で済む。
言葉で侮辱されても、挑発にのってつい声を荒げても、「彼ら」の思惑に従って手を出さなければいい。
確かに、侮辱されっぱなしは悔しいと思う。
本当なら言葉でも挑発に乗ってはいけない。
また、激昂して「彼ら」の策略にのってはいけない。

まともに話ができないと思ったら、その場を黙って離れるしかない。
「彼ら」が何を言おうと、「聞こえない。見えない。言わない」
「彼ら」が透明人間になったように、完全に無視して離れていい。

あなたを「人非人」と責めようが、相手が貴方にいかにも「借り」があると嘘八百並べようが、「人非人」で結構。

相手の穴だらけの都合のいい正論を、理詰めで一つ一つ潰さなくてもいい。

「皆も言ってる」だの「皆に言ってやる」だの言われても、「何を言われようと嫌なものは嫌だ」で結構。

疑心暗鬼になったり、挑発に乗って自滅するほど馬鹿げたことはない。

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猫の居場所

最近、家に猫が来ている。
右足の後ろがひどく禿げた状態で、やせ細ってよたよたしていた白猫だ。
母がショートに行っている間、米の消費が減ったので、その分雀にお弁当の残りや米をあげていた。
数羽来ていたのが、またたく間にピーク時には朝から騒いで30羽程くるようになっていた。
このところ米の収穫時期には、激減したがそれでも朝・昼・夕と食べに来ていた。
烏も狙って来ていたので、烏用にお弁当の残りをやっていたところ、件の白猫が今にも倒れんばかりに硬くなったご飯の残りを食べようとしていた。
右足の後ろがひどく禿げて、タールでもかけられたような状態の上、せっかくの白の毛並みが汚れきってガリガリでヨタヨタしていた。
首輪もないので、野良猫だと思った。

情けない事に、その猫を見て、自分の2歳の頃を思い出した。
満足に食べさせてもらってなかった私は、幸い家に鍵がかかっていなかったので、近所の家10軒程に遊びに行って、文字通り食べさせてもらっていた。
愛想がよかったので、声をかけられたり遊んでもらったりお手伝いした時にもらうお菓子。
ある日、数日おきにいった家のおじさんが、私のいる前で、庭先にきた野良犬に石つぶてを投げて追い払った。
「餌をもらうと癖がつく。こうして来ないように分からせないといけないんだ。」犬は、泣きながら出て行って、その後は見ることはなかった。
自分の事を言われている気がした。
それから、1週間おきではなく10日おき位の感覚で、家々を回るようにした。

食べないと死んでしまう事くらいは(死ぬ事を理解していなくても)分かっていたので、3才で幼稚園に上がり昼の食事を頂くまで。
犬を追い払ったおじさんは、10日ぶりに来た私を心配して、とても歓迎してくれた。
叔母が、当時何かの話の中で、「口減らし」の話をした事がある。母はそれをしているのだろうかと、疑った事がある。
当時、私はまだ2歳だった。幼稚園にあがり、定期的に食事(昼)ができるようになるまで、今思っても良く生き延びたと思う。
回っていた家々からは、ほとんどが菓子だったが、1軒だけきちんとした食事を食べさせてくれたところがあった。
そこは、お姑さんが愚痴が多く、毎日お嫁さんを悪くいって、それを毎回否定しながら慰めた。
結果的に、お嫁さんお姑さんと二人の食事は気づまりなのか、私と一緒の3人での昼ごはんを頻繁に食べた。
その家には、4歳~5歳の間に、一番多くいったと思う。

お姑さんのいない間は、お嫁さんの泣きながらの悩み事を聞き続けた。
お嫁さんは若く、どちらかと言うと健康美人系で、小学生低学年の子供が二人いた。
比較的羽振りのいい家だった為か、玉の輿と言われていたお嫁さんだった。
旦那さんは経営者で、大して仕事らしい仕事をしなくても、生活のできる人だった。
ある時、お嫁さんに「パパが悪い女の人につかまっているから、aiちゃん、助けに行ってほしいの。」と言われた。
幼い私は「悪い女の人」=「魔女」と思っていたので、「aiが食べられたりしないかな・・」と不安そうにいうと「aiちゃんなら大丈夫よ。可愛いから食べたりしないわ。」そういって、4歳の私の足でもずいぶん長い間一緒に歩いて、ある一軒の平屋の木造の家の近くについた。
家から離れたところで、お嫁さんは怖いくらい堅い表情で、私の両腕をつかんで「あの家にいるから、aiちゃんパパを連れて来て。必ず連れて帰って。」そう言って、私を送りだした。

恐る恐る家の戸を叩く。
何度かの呼びかけの後に、とても綺麗な女の人が出てきて、私を見てはっとしたように、中の男の人を呼んだ。
正直、それほど綺麗な女性を見たのは生まれて初めてだった。
ただ、魔女ではなく人間の女性だった事で、初めてお嫁さんに騙された事に気付いた。
その後、1年半程時々迎えに行った何十回もの間、最初のころはその女性は私が何度違うと言って自分の名前を言っても、お嫁さんの旦那さんの子供だと疑い続けた。
旦那さんを家に連れ帰って、騙したお嫁さんには怒りも感じたが、たぶんに自分の子供には迎えに行かせたくなく、実家にも私の母のように言えず、かといって姑には言えるはずもなかったのだろうと、理解した。
こういう時には男に殴られるだろうと家の両親で知っていた私は、心配になって連れて帰った翌朝お嫁さんの家に見に行くと、案の定片方の目に青あざをつくって泣きはらした顔のお嫁さんがいた。
その日また旦那さんを迎えに行って帰りがけ、旦那さんには、床屋の井戸端会議によく行くおしゃべりな母の事をあげ、「おばちゃんが顔を痛くしてるから、ママにお薬をもらうんだ」と、暗に脅しておいた。
旦那さんは、飲み屋のママの愛人宅に入り浸っていたわけだ。
その後、私が6歳で小学校に上がるまで、ずっと迎えに行き続け、玄関先で1時間程待っても連れて帰れない事もあったが、少なくとも一飯の恩義と、昔の明るいお嫁さんに戻ってもらおうとした努力は、全く無駄にはならなかったと思う。
結局、お嫁さんは私が2年生に上がるころ、旦那さんを見限って子供を連れて出て行った。
4歳だった私は、当時「離婚したほうがいい」と言って、お嫁さんをぎょっとさせたようだが、今でもそれで良かったと思う。
まだ、4つのいたいけなしかも赤の他人の女の子が迎えに行ったのに、改心せずにその後も通い続けた男だ。
女の顔を、痣ができるまで殴った男だ。
女子供に手を挙げる男は、人間の屑だ。

当時、食べさせてくれたお嫁さんや、近所の人達。
自分の子供でもないわけだから、食べさせれば見返りは期待する部分もあったろうけど、菓子程度の親切でも、私には命の糧だった。

件の白猫にここ1ヶ月半程、毎日餌をやっていた。
ガリガリになって満足に食べていない野良のように、ありついた食事をがつがつ食べていたのが、今は食べ終わると満足したように寛いでいる。
やっと、やせ細った体も普通になって右足の怪我も治り、朝・昼・夕と来て、強かった警戒心もこの一週間でとけ、私の膝の上に乗るようになった。
2週間程前、隣のおじいちゃまに「あの猫はここの後ろの家の飼い猫だよ。」と聞いても、どうかな~?と思っていたが、今日昼ごはんを済ませた白猫がゆっくり後ろの家に入って行き、2階からその家の女性が声をかけていた。
ちょっと悲しくなった。

当時の私に食べさせてくれた家々の人も、同じように感じたかもしれない。

ただ、私は、今にも死にそうなほどやせ細ってフラフラしている猫を、見ていられなかっただけだ。

夫は、「他人の家の飼い猫に食わせてやることはない。ただろくに食べさせてないみたいだから1日2回だけ表に餌を置いて、他の猫に食われたらそれはそれでいい。」と言う。
表に餌を置いて、他の猫に食べられて白猫が食べられずにいたので、室内であげだした私にそういった。

その当時、私を可愛がってくれた他の家のお父さんの同じくらいの年の女の子に、「aiちゃん。私のお父さんをとらないで!!」と怒られ、他人の家族に懐いてはいけないんだと知った。

白猫は、きっと帰る家がある。

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イネイブラー(支え手)

ひとりの嘘つきの周囲には、嘘をつき続けることを可能にする「イネイブラー(支え手)」が必ず存在するもので、イネイブラーの心には信じたいという気持ちが潜んでいるそうだ。

人間は、自分の信じたいものを信じる。
目をそむけたくなる真実でも、それを認識して狂気に陥るか、取り返しがつかない事柄であれば、嘘つきに騙されたはずの自分自身を騙す。
傷が浅いうちならたとえ苦しくてもやり直すことができても、それが積み重なればなるほど、引き返すことはできない。

うすうす、身近な「彼ら」の言っていることが「嘘」と気付いても、既にそれで判断してしまった以上そのまま突き進むしかない。
そうして、自身の人生の選択を誤り、家族の選択を結果的に強制してしまう。

イネイブラーは、立派な人間であろうとする。実際、だれが見ても素晴らしい資質をたくさん備えている。
但し、それぞれの美徳には、影の面がある。
有能さを見せつけられれば、周囲の人間の中には無力感を抱き、寛大さは罪悪感を抱かせ、親切な振る舞いは相手の負担になるかもしれない。
そうして、忍耐は、虐待の誘因となるかもしれない。
イネイブラーは、善人の役を演じ、時には自分を虐待させてまで、相手に快を与えようとする。それは、依存関係を強めてしまう。
「彼ら」をパートナーとして選んでしまった場合、信じたくない彼らの本性を、彼らの嘘を「真実」にするため、自分自身を「変質」させてしまう。
それは、「彼ら」から離れても、後に同じようなタイプの人間を惹きつけてしまう。

「嘘は嘘だ。」
「何百回繰り返し言い続け洗脳しようとしても、嘘は嘘だ。」
例え、気付いた時に自分の損害が甚大であっても、やり直すのに時間がかかっても、「彼ら」に侮辱されても、「自分自身の真実を生きた方がいい」

「彼らは、もう「ハリボテ」としてしか一生涯生きられないのだから」それから比べたら、例え10年遅れをとっても、「自分の人生を生き抜く充実感は何物にも代え難い。」

だから、何よりも貴方自身を信じて生き抜いて。

お盆が近づくと、父の死に様を思い出す。
ここにも記せなかった。
もしかしたらイネイブラーをうまくつかんで安らかに死ぬ「彼ら」もいるかもしれない。
だが、多くの「彼ら」の最後は同じだそうだ。それを、あらためてここに記する必要もない。

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「彼ら」のコピー能力

威圧的な態度をとるので、立派な立場にあるかと思いきや、実はなんでもない。

いかにも自信にあふれているので、裏付ける実力があるかと思ったら、まったく何もない。

相手を見下したような話しぶりから、さぞ育ちが良いか博識かと思ったら、特別そんなことはない。

ただ、知らない人間は、小出しにするその「振り」で騙されるかもしれない。
中身のない張りぼてのくせに、自分はすごいんだと見せかけている、本当はたったそれだけだ。
その張りぼてにつじつまを合わせるためにするのが、「コピー能力」だ。

「彼ら」のコピー能力は、優れたコピーもあるが、大体が劣化コピーのつぎはぎ(パッチワーク)なため、うすっぺらく、裏付けが無く、実が無い。
自分で言うスキルを裏付けるだけの実力と専門的知識や、一貫性のある思考が無い。
時間をかけて蓄える手間を省くため、付け焼刃のうえ他人に聞いたあやふやな知識だったりする。
いきあたりばったりの思いつきで動くため、準備すべきことがしておらず、しかも周囲を巻き込み迷惑をかけてもその自覚が無い。

問題は、様々な書籍や他人の感動話や苦労話まで、いかにも自分が経験したことのように「盗む」ことだ。
しかも、「汚い綺麗ごと」(相手を責めるために正論を言っているが、そのことだけを切り取って話すだけで、その場に当てはまらない。)を話すために、他人の大切にしている思い出を盗んで、いかにも自分がその感動的な場面に遭遇し、周囲から信頼された話にすり替えたり、自分が傷つけた相手にしたことを自分がされたことのように言って同情を買ったりする。
※姉ができ婚でデートもしたこともない義兄に、言っていただろう話。

ちなみに、経験があれば「彼ら」の言っていることに必ず「違和感」を感じるはずだ。
どんな上手な嘘や、「彼ら」の思い込みでも。
相手が浅い関係だと、追求しないことをいいことに、詳細は言わず、また詳細は聞きづらいような雰囲気をつくるだろう。
例:悲しそうなそぶり「これ以上は・・ごめん」とか、いい年の男が 涙が出ているのではないかと思われるくらいのオーバーアクションとか。
※20代の子供(成熟している20代の方はごめんなさい)なら劇的な態度に感激して騙される人もいるかもしれないが。
断わっておくが「成人して人前で泣く男は信用できない」たとえ恋人の前でも。これは間違った事はない。
親兄弟の生き死にの場面以外では。一生に1回か2回位だろう。
一般的にはそういう感覚なので、「彼ら」が泣くと、そこまでのことなのか、と騙される。
でも、思い返してほしい。「彼ら」が泣くのは、その内容は、「泣くほどのことではない。」
ただ「被害者の言っていることが嘘で、自分の言っていることが真実だ。」と思わせるためでしかない。

「嘘も百回言えば真実になる」

 

「大きな嘘ほど民衆は疑わない」

ナチスの宣伝大臣 ゲッペルスの言葉。現代のマスコミの手法にも通用するそうだが、よくよく相手の立場、その場の状況、相手との関係性と距離、言葉の意味を考えて対応したいものだ。
そうしなければ、ヒットラーのようなIQの高い「彼ら」であれば、(私はヒットラーは何らかの人格障害だと思っている)容易に人を騙せる。
たとえ、幸いにしてIQが高くない「彼ら」であっても、つじつまは合わないが流れるように話す言葉や理由にもならない「脅し」や一見して爽やかそうな顔立ちで、世間知らずは騙され、重要な役職に付けてしまうかもしれない。

企業に一人でもいれば、生産性は落ち仕事は立ち行かなくなるかもしれない。
家族に一人でもいれば、誰かの一生は潰され家庭は崩壊の一途をたどるかもしれない。
行政に一人でもいれば、その部署から市民の中に次々と犠牲者が出るだろう。
議員に一人でもいれば、市民の血税はドブに捨てたことも同じ、その地域の行政は、滅茶苦茶になるかもしれない。

「相手の理想を膨らませ、自分に投影させる」
実際、ヒットラーが用いた洗脳手法だ。

「彼ら」に気づいたら、「彼ら」が力をつける前に、我々は何をすべきだろうか・・

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型どりの笑顔

先日SのSNSに毎回掲載される自撮りの「笑顔」が、妙に気持ち悪く、何故なんだろうとずっとひっかかっていた。
昨日、実家に行った際に、父の部屋にあったアルバムを見ると、姉の写真満載で(30才前後)無理やり姉に付き合わされ一緒に旅行に行った私も写っている。
その姉が、Sと全く同じ笑顔だった。

つまり、仮面のようにまるで「型どりしたような笑顔」「笑顔の形をした口元」「歯並びを見せ目をカッと見開いた笑顔」だ。
どの写真を見ても同じ顔だ。1枚だけなら、違和感を感じなかっただろう。だが、十数枚単位で全て全く同じ笑顔。
普通そのシチュエーションや、一緒に写っている人たちや、場所によって、それぞれ顔の表情は自然に変わる、と思っていた。
様々な表情の笑顔があると。
そういえば、私が21に自分の歯をなおした後、姉も前歯から4本と隙間に1本差し歯にして治した。
私ほど酷く出て(父は殴らなくなったが、悪意のある行為が続く)いなかったが、やはり歯並びは綺麗ではなかった。
治した後、私の前で何度も笑顔を作って見せられ、「なんか、変・・」とつい口に出してしまい、姉に「綺麗になった」とついに言わせられるまでしつこく目の前で笑顔をつくられた。
Sの写真と姉の写真を見てやっとわかった。

私は既に11才位から、営業スマイルをする時もあった。
だが、それでも正直なその時々の笑顔や笑みを浮かべていた。
私は写真を皆と撮る時は、必ず笑っていた。その時々の笑顔で。勿論楽しかったから。
姉と旅行に行った私は、何度めかの旅行では、ほとんど笑っていない。
一緒に写っている姉の型どりしたような笑顔が、とても虚ろに見える。
姉の好きな場所で、姉の好きなシチュエーションで、姉の好きなペンションと姉の好きなレストランと姉の好きな話題。
私の着て行く服まで、事前に姉にチェックされた。
この写真を見れば、誰だって同行者(私)がその時だけでなくずっと楽しめてないのに気付くはずだ。
それなのに、何故、白馬だ軽井沢だ那須だ京都だ奈良だ・・と付き合わされる羽目になったのだろう。
何度口に出して、「金がない。時間が無い。行きたくない。」と言う主旨でやんわりと断ったか知れない。
姉は友人がいなかったので、友人と旅行に行った事も日帰りで遊びに行った事も無かった。
ただ、今後誰かとお付き合いする時には、その何か変な違和感は、ところどころ出るだろう。
本も読まない姉は、経験を仮想体験することもできない。(最も、本だけの経験では、経験者から見たらかなりずれて見えるし違和感を感じるからすぐわかるけど。)
だから、私を練習台にしたのだと思う。(姉は寺の件で傷ついていたので、知っていてもあからさまに断れなかった。)
姉に「恋愛の話をしたい」と言われた時、さすがにそんな話を姉としたくなかったので(友人達とは確かに学生時代からしょっちゅうしていたけど)「そんな話をお姉ちゃんとしたいとは全く思っていない!」と言い切り「お前しか話す相手がいないんだ」とすがられたが「そういう話は親兄弟よりも友達とするべきだ。」と友人のいない姉に言い放った。
多分、姉は「友達の作り方」を知らなかったのだと思う。
小学校・中学校・高校といたように思うが、その場だけの付き合いで、写真には写っていてもただの一度も自宅に連れてきた事は無い。(小学校時代、毎晩のように晩御飯をごちそうになっていた料亭の娘たった一人以外)

何十年もかけて、少しづつ少しづつ「彼ら」のパズルが解けてくる。
勿論、私が違っている可能性もあるが、後の方の為にできるだけ記録に残しておこうと思う。

Sは本人のSNSによると「本」をよく読むそうだ。常に本が手元にあった、と言う。
もし、Sが「彼ら」だとすると、「本を読む」事ができるのだろうか?と思っていたが、多分こういうことだと思う。

本を読む-ということは、オックスフォード大学の神経学の教授john Stein氏によると、「読書は大脳のトレーニングだ。」と言い、実際に読書中の脳をMRIでスキャンすると、本の中の景色や音、においや味を想像しただけで、大脳のそれぞれをつかさどる領域が活性化して、新しい神経回路が生まれたそうだ。
体験していないのに、本を読むことであたかも体験したように感じるとのこと。
つまり、イメージしただけで追体験している状態になるそうだ。


ここからは、子供の頃から読書三昧だった私の考えだが、確かに脳の中ではそのような事が起こっているのだろう。
だが、個々人の感じ方は、今までの経験に基づいている。
同じ体験でも違う感じ方や反応をする。
主人公と全く同じ行動や感じ方はしない。
歩んできた人生が全く違う以上、同じ言動はしない。
従って、同じ結果にはならず、周囲も同じ反応はしない。
だから、よく誰かに(主に主人公に)感情移入をして追体験をするかもしれないが、本を閉じた瞬間にこちら側に戻ってくる。
そして、追体験の過程で、既に移入していた感情はついたり離れたりして、「神の視点」になっていたりする。
私は集中力があるほうで、昼間本を読んで本の世界に入っていると、耳元で姉に怒鳴られても気がつかない子供だった。

だが、現実と本は違う。
例え、実体験の手記であっても。
自分にも全く同じ事は起こり得ない。
何かを実現させるためには、地道な努力で一歩一歩進むしかない。

だから、SのブログやSNSの記事を見て、不自然さを感じたのかもしれない。
姉のように、本を読んで練習台にしようとしたのかもしれないが、実体験で何年もかかって身に付く体験を、4~5時間で読み終わってしまう本ではとても体験できない。
また、本人や周囲の現状や今までの経験とは違う事をベースに、それを演じようとしても無理があるだろう。

だから、記事を読むと「綺麗ごとだらけで、実の無い、アピールばかりで、一貫性のないパッチワークのような文章」に思えたのだと思う。

友人達と長い間かけて築いた本当の信頼関係や、自分で一歩一歩努力して実現した後に支えてくれた人々との「本当の笑顔」-

「彼ら」に足りないのは、そういうものなのかもしれない。

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隠そうとする心理

「隠そうとする心理」―
「彼ら」のつく「我々の弱点(場合によっては)になるものの一つ」だ。
「世間体が悪い」「体裁が悪い」「家の中の事を表に出せない」-これらは、間違いなく「彼ら」が不当な要求をする際に悪用する部分だ。
最近、間違いなく「彼ら」と思われる人物(仮にSとしよう)から、私に言うことを聞かせ自分の思い通りにコントロールしようと、また自分が被害者を装い、周囲を味方に付けようとして、最初に徴候をしめしたのが「これ」だ。

「この件は、他の方には黙っていますから!」
ちなみの、そのSの言う「この件」というのは、既に知る必要な周囲の人間には話しており、また話していなかったとしても私に権利があり、知らない人間にとやかく言われる事ではなかった。
だから、何をことさら「秘密めいた」言い方をしているのか「違和感」を感じた。
理由は、Sにとって不都合だったからだ。「その件」は。
そして、「その件」をSには全く何の権利も無いにもかかわらず、権利者である私を無視して自分の都合のいい形にしたかったからだ。
特段、秘密にする理由は私側には全く無かったので、言われても全く困らなかったが、わざわざ聞かれもしないのに個人的な事を無理やり他人に必要も無いのに聞いてもらう事でもない。
もっとも、もしかしたら、本来知る必要のある人間に話していない人にしたら、Sの言うことは「多少の脅し??」になったのかもしれない。
後から言っても問題ないレベルの内容だったが。
(ことさら「秘密めいた言い方」や「こちら側が周囲に特別言っていない事を相手とそこまでの関係性も無いにもかかわらず聞きたがる」行為をされたら、もしかしたら「彼ら」ではないか?と一度は疑ったほうがいい。)

次にSから「間違いようのない人格否定」をされ、その時点で記録を開始した。
言葉の圧迫、というのを久しぶりに感じた。
とりあえず、その時は適当にSに合わせて適当に持ち上げ適当に帰って頂いた。

これをSがみているかもしれないので、詳細は省くが、「彼ら」は「世間体」を重視する人間に対して「それ」を「恐喝のネタ」にする。
本来なら「恐喝のネタ」にならないことを。
忘れてはならないのが、表沙汰になって非常に困ったり世間体が悪く評判を落とすのは「彼ら」だ。
こちらに恥じるべき事が無い限り、正直に周囲に話しておいた方がいい。

「彼ら」の嘘に騙される人間もいるだろうが、そういう人間はいずれ「彼らのような輩に騙されて貴方の足を引っ張る」

だから、残念だがこれを機会に切っていい。
大切な友人だったら、一度はこちらに嘘は無い事、「彼ら」の言う微妙に自分を被害者に仕立て貴方を加害者に仕立てる嘘を理解してもらうための話をするのは、いいだろう。
だが、貴方が話して納得しないなら、もう切った方がいい。
何故なら、一方的でよくよく注意深く聞くと、つじつまの合わない不条理な事柄の「彼ら」の話だ。
無理に事実を捻じ曲げるので。
それに気づかないなら、例え被害者でもないその騙された友人に悪気が無くとも、いずれは貴方にとって致命的になる。
Sの言った会話を記録してたら、無理やり自分の都合の良いように事実を捻じ曲げようとしているので、とてもじゃないが理屈に合わない事を言っているのに改めて気付いた。
これに気がつかず疑問も持たないなら、その方は「彼ら」と同じように頭のネジが5~6本ぶっとんでるか、「彼ら」に逆らえない何か弱みを握られているかだろう。

今回の一件を話した方々の内、一人の方が、「他の人間だったら、対応を知らずに相手の思うつぼになっていたかもしれない。まるで相手は「やくざ」だ。」
人間は、生きていくと弱くなる時もある。だが、一生懸命働いて正直に生きていけば、「貧乏」であっても恥ではない。
一生懸命勉強したのに、試験に合格しなかったとしても恥ではない。
たとえ仕事に失敗しても、もし何かで失敗したとしても。

だから、「彼ら」の攻撃のネタにされないように、外部と接触する際に「隠そうとする事柄」は持たず、情報は開示していつどこにいるか分からない「彼ら」の力を無力化したほうがいい。
そして、本当に秘する事は死ぬまで口に出さない事だ。

私は、正直言ってSのことを知らない。だが、Sはこのサイトや私の書籍を持っている。が、そこまでだ。(ブログや本も、字面を追うことはできても、「理解する」事は無理だと思う。)
本当に知られてはいけない事、また知らずにSが既に地雷を踏んでしまった事は、S本人は知らない。
そうして、私は全くSの背景や個人的な事をほとんど知らないが、Sは自分の踏んだ地雷に対して、為すすべもない事は知っている。(相手の力の限界は、或る程度の付き合いで推し量れるものだ。)
勿論それが何か、ブログにも書籍にも無く、まして最近知り合った共通の知人も全く知らない。(ちなみに、このブログの記事で「脅そう」としたら、既に人間として終わってるだろう。)

ただ、その地雷が何であれ、いずれはそれが致命傷となる事は確かだ。

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