このサイトを読むにあたっての注意事項

「自己愛性人格障害」この一連のシリーズは、私のように「いわれのない被害」に遭わない為・「被害者」が前へ少しでも進めるように、また私自身納得をして前へ進む為に書いた。
また、モラルハラスメントの被害者が、第三者へ被害の「立証」の助けとなり、家族に「加害者」がいた場合、自分の今後の人生を考え、「彼ら」への執着を断ち切り、割り切れなさを解消する助けになればとまとめたものだ。
また、「被害を受けている自分」との気付きの「きっかけ」となればと書いたものでもある。
但し、個人的には「彼ら」が人格障害であるか否かは、専門医に任せるべきであり、私達素人が判断すべきことではない。

彼らが自己愛性人格障害であるなしの判断は、素人の私にはできない。
相手を「悪者」にしたいがために、「人格障害」とのラベリングをするべきではない。
専門医ですら診断が難しい「彼ら」を、多少の知識を持ったからと言って我々ができるはずもないし、「彼ら」はまず診断を受ける機会を持つ事も拒否するだろう。
また、本文中で何度か言っているが、このサイトを見て、また本を読んで「加害者」を「人格障害」と安易に決めつけ相手や相手の周囲ににそれを伝える事は避けてほしい。
何故なら、その結果起こった事には私自身一切責任とれない。それを承知の上、あくまで「一考察」として読んで欲しい。
また、相手や相手の周囲の人間に「人格障害」という事によって、それを聞いた「彼ら」から「いわれのない誹謗・中傷」を受けた「被害者」と、本当は被害者である貴方を「加害者」といってくる危険性もあるからだ。
また、「被害者」は幾度となく「彼ら」に人格否定もされていると思う。同じ事を「彼ら」にすることは絶対に避けて欲しい。
もし、貴方が判断した人間がそうでなかった場合、貴方が受けた苦しみを貴方自身が与えてしまう。

我々が出来る判断は、普段の正常なコミュニケーションの中、親しく付き合える友人、恋人、ちょっと距離をおく知人等様々な関係性の中で、それぞれにその都度どの程度の距離をとって付き合うかの判断だけだ。
同様の判断を「彼ら」にして欲しいと思う。貴方が遭った人間が「自己愛性人格障害」であるかどうかはわからない。ただいえるのは、資料を調べて納得のいく回答を得ようと苦しむほど、その人間は「異質」な部分があったという事だと思う。
また、確かに「彼ら」が「自己愛性人格障害」であったなら、その「異質」に説明がつくと思う。(かなり、すっきりすると思う)但し、明確な答えが得られない以上、口にするべきことではないと思う。

「彼ら」が「自己愛性人格障害」であろうとなかろうと、要は「同じ人間とは思えないほど最悪の人格を持った人間」単純に言えば「最悪の性格」であり、傍にいれば悪影響を受けるだけだし、関係を断つべき人間だということがわかればそれでよいと思う。
ただ、誤解がないようにしたいが、他者に対しての評価や印象はそれぞれの主観的価値観によってしまう。
どんな名称であろうとも、少なくとも貴方にとって「最悪の人間」だったというだけであり、他の人間の見解はわからない。

血の繋がっていない「彼ら」が同じセリフ同じ態度、同じ思考傾向、同じ性格なのは、共通した「何か」が確かにあると考えるのが普通だ。ただ「何か」に対して医者でもない我々には明確な答えが出せない。
但し、偶然にも「同じタイプ」なら、「彼らの傾向や理由」を知ることによって対応策や今後の方針を決めることができる。「彼らがなにものかわかったら」相応の対応をするしかない。

もっとも、「彼ら」の中の一部にとっては、まだ「人格障害」と診断されたほうが都合が良い場合もある。
自己愛性人格障害の得意技の「同情を引く」「過去の自分ではどうしようもなかった環境の被害者」を装い、精神科医や精神分析家が治療をあきらめない限り、治療の可能性は0ではないからだ。
「病気」とのカテゴライズはなくとも、社会問題のひとつであり、何とかしようと赤の他人の専門医が有料で治療をしようとしてくれるからだ。
これが、単なる「最悪の性格」の問題で、本文中で私が複数の知人友人(責任ある立場の人々)が異口同音に言った「人格的、倫理的に問題がある。異常だから、1秒でも早く切るべきだし、彼の友人も同じレベルの人間だからもうつきあうな。」といわれるものであるなら、変わる可能性は 無い。また、有料でも「治療」の対象にはならない。

「性格」なら30過ぎなら治らない。20過ぎなら 他の人間と同じようにふるまうだけでも10年はかかるだろう。それまで誰かが毎日彼らの日常を把握して注意しなければならない。
何故なら、通常の感情の在り方と異にしているからだ。
その思考の癖を直すだけでも大変なのに、はたしてそれを素直に聞くことが「彼ら」にできるだろうか?
できなかったからこそ、病的とも思える言動をとることになったのでは?例え、振る舞いを正せたところで、肝心の人間の感情の「感じ方」が変わらない限り、ムリだと思う。
他人の感情を理解することができないばかりか、自分の感情も状況に応じた形で湧き上がってこない。表面的には悲しんでいるように見えるが、それは復讐の気持ちをともなった怒りや恨みで失った悲しみ というものではない。
「彼ら」は自分たちの苦しみを感じようとしない。だが存在するそれをそのままにしておくと深刻な精神病の症状を発症するおそれがある。だから他人にそれを背負わせるのだ。精神分析医のいう「症状のない精神病」とはそういうことだ。
多分にだからこそ、「性格」ではなく「障害」とされたのだと思う。また、そう権威のある医者が告知することで「彼ら」に納得させ、自覚を促し、周囲が正す理由としたのだと思う。実際、30年近く言い続けたところで、姉や父は変わらなかった。(人に忠告をするほどえらくもないが、人を傷つけないでくれ、人に対して傲慢だから友人がいないのだ というくらいはいいと思う)

3,4才の子供じゃないのだから、「悪い性格」は自分で気づいてなおすのが普通。
性格なら30過ぎの人間はもう変わらないし、同情する余地は皆無だ。
何度言っても本人の自覚が無いなら救いようがない。
当然、周囲の人間は遠くない内に「彼ら」を嫌って離れていく。
彼らが不幸になろうが、野垂れ死にしようが、自業自得だ。
また、そういう性格では、調べるまでもなくそうなってしまうのは自明のことだ。
(自分の仕事にも生活にも言動行動にも「責任をとらない」人間が、無事生きていけるはずは無い。)
もしその「性格の悪さ」を「溺愛や虐待」を理由にするなら、親のいない子や、戦争をやっている国の子や五体満足で生まれなかった子は皆「彼ら」のようになってもいいのだろうか?皆一生懸命生きて、幸せをつかもうと懸命に努力する。
その子達の生き方や、生い立ちを馬鹿にする権利が「彼ら」にあるとでも思っているのだろうか。
「もしかしたら人格障害かも?」というのは、彼らの「不可解な言動や行動」に対する理由づけに他ならない。

何より大切なのは「自己愛性人格障害」と断ずるよりも、「その傾向が強い最悪の性格をもった、近づいてはいけない人間」と判断して相応の対応をとるべきだということだ。
その傾向が見えてきたり、「自分の常識で理解しがたい人間」なら巻き込まれない内に離れたほうが良いということだ。(悪く思ってはいけないと逃げ遅れ、被害を受けてからでは、何故こんな事態になったかの「答え」を人間は求めてしまう。相手を「異常」と決めたくはないが、それらの「被害」を「正常」と思って、自分を「破壊」したくはない。どんな「答え」でも少なからず納得し、「前へ進む手がかり」が得られれば、良いと思う。)

いずれにせよ、名称は何でもいい。「彼らのようなタイプ」それでも良いと思う。

「そのタイプ」の破壊力はすさまじい。
家庭に一人でもいれば、家庭自体が崩壊する。
職場や取引相手に一人でもいれば、仕事の効率は落ち、病人も出る可能性もある。
パートナーであれば、自分の元気がなくなり可能性もつぶされ子供にも悪影響(世代連鎖)がある。

インターネットは多くの情報がある。その中で正確で信頼のおける情報は限られている。
個人サイトで同じテーマ(自己愛性人格障害)を扱っているページも多い。
個人の方がこのサイトと同じようにまとめて公開しているものも、数多い。
また専門家の見解も様々だ。
信頼度においては、専門医でもない私の見解は、たとえ実体験や関連・専門書籍の知識であっても信頼性は低いかもしれない。

この一連のシリーズでは、「彼ら」のような人間が貴方の隣に存在し、ラベリングして排斥する為ではなく、自分を大切にして回復の手がかりとなって欲しいだけだ。
ただ、避けられるなら「彼ら」のような「同じタイプ」の人間から逃れて、元気になってほしいと願ってやまない。

コメント

この記事へのコメントは終了しました。